2024.03.22

「陸上は一番努力した選手が一番の結果を残す」
ひた向きに、泥くさく駆け抜けた4年間
陸上競技部長距離ブロック(駅伝) 湯浅仁選手(経済4)

学生記者 谷井花蓮(総合政策3) 吉田未来(理工2)

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今年1月の第100回箱根駅伝往路4区で、陸上競技部長距離ブロック(駅伝)主将(当時)の湯浅仁選手(経済4)が区間3位の力走を見せた。エントリーメンバーの多くが体調を崩す中で、「主将のおれが流れを変える」と責任感からの意地の走りだった。

 

湯浅選手は「走る力は同期でも下のほうだった」と入学当時を振り返り、「陸上は一番努力した選手が一番の結果を残す。(練習を)やった分だけ返ってくるスポーツです」と言葉に力を込めた。ひた向きに、泥くさく駆け抜けた4年間で得た思いを胸に、卒業の時を迎えた。

「主将のおれがやらないといけない」

ⓒGetsuriku

 

 

「流れを変えるには主将のおれがやらないといけない。1つでも順位を上げる」。責任感が足を、体を、動かした。往路4区で5人抜きの力走を見せ、小田原中継所に駆け込んだ。チーム順位を13位まで押し上げ、自身の最後の箱根駅伝を走り切った。

 

当日は雨が降って体感温度が下がり、「雨の準備はしていたが、後半は体が思った通りに動かなくなった。それでもあの状況で最大限のパフォーマンスができた」と振り返る。

 

「体調不良もあってチームは思い描いていたレース展開に持ち込めなかった。神様を味方につけられなかった」。仲間の多くがベストの状態でスタートラインに立てなかった悔しさをそう言葉にした。

 

挨拶や日々の清掃、食事、睡眠、体のケアなど、走ること以外の細かな部分の生活態度、姿勢の大切さを強調し、チームも個人も、すきのない日常生活を送ることが競技に結び付いていくと信じている。座右の銘が「神様は見てる」という言葉であるのも、以前からのそうした日常の姿勢からだろう。今回の箱根の教訓を今後の糧にしたいという。

2年生で初出走の箱根 自分に衝撃を受ける

2年生で挑んだ箱根駅伝の復路9区で区間3位と好走し、手ごたえをつかんだ。入学後、大きな実績もなく、大きな大会への初めての出走が「衝撃というか…。自分の可能性に驚いた。『自分はやれるんだ』という気持ちにさせてくれた」。走る前は不安しかなかったが、緊張感の中で、狙った以上の会心の走りをできたことがその後の自信につながった。4年間で一番印象に残っているパフォーマンスだという。

 

コロナ禍の真っただ中で入学し、練習環境の制限など苦しい状況が続いた。入学当初は練習についていくのが精いっぱいだったが、吉居大和選手、中野翔太選手という同学年の2人のエースをはじめとする同期の選手たちに刺激や力をもらった。藤原正和監督やコーチが個々の力量の差にかかわらず、平等に指導してくれたと感謝し、支えてくれた全ての人への恩返しの意味で、常に結果にこだわってきた。

 

2年生の途中まで「大会前の調整などで自分に何が適していて何が必要なのか」を見極めるのが難しかったが、その2年の箱根駅伝の頃からそれが見えてきたという。

座右の銘は「神様は見てる」

ⓒGetsuriku

自身の言動がチームを左右 背中で見せるのが主将

一つひとつの質問に丁寧に答える姿が印象的だった
=2024年2月1日、多摩キャンパス

 

掲げた目標に向かって真摯に、粘り強く継続して取り組めるのが自身の特長であり強みだと思っている。中途半端が嫌いな性格で、「お世話になった人の顔を思い出しながら4年間を全力でやり切ろう。やり遂げることに意味がある」と心に決めていた。

 

「自分の言動がチームの雰囲気や結果を左右する。(チームメイトには)結果で、背中でしっかり見せていく」。主将として責任とともに、そこにやりがいも覚えた。

 

4年間、真摯に競技と向き合い、不断の努力で走力を積み上げてきた。「泥くさく、ひた向きに取り組むことが大きな財産になり、人としての成長は必ず(競技の)結果に影響する。人としてしっかり成長できる4年間にしてほしい」と、長距離ブロックの後輩たちにメッセージを送っている。

 

中学時代まで1番打者でポジションはショートという「野球少年」。当時、野球部に所属しながら出場した駅伝大会の走りに目を留めたのが、宮崎日大高校陸上部の藤井周一監督だった。

野球から陸上への転向

ⓒGetsuriku

「陸上をやったほうがいい。都大路(京都市で開催の全国高校駅伝競走大会)におれを連れていってくれ」。藤井監督の熱意に押され、自身の細身の体格も考慮して、陸上の道を選んだ。宮崎日大高は湯浅選手の2年時に創部8年目で都大路に初出場、3年時は7位に入賞している。

 

実は、中大の藤原監督と藤井監督は同じ高校駅伝の名門、兵庫県の西脇工業高校の出身で、藤原監督が1学年先輩という間柄でもある。

 

マラソンで結果を残したいという強い気持ちがあり、将来はオリンピックや世界陸上の日本代表を目指す。中大での体に負荷をかけた質の高い練習の積み重ねで、高校時代からの課題だったスピード能力は確実に上がった。しかし国内トップレベルで競うにはまだまだ十分ではないと考えている。

 

けがをしない体の強さ、長距離を走るスタミナ、そしてスピード―。やるべきことはたくさんある。「この4年間の土台は将来、必ず生きてくる」と信じて走り続けていく。

 



湯浅仁選手

 

ゆあさ・じん。宮崎日大高卒、経済学部4年。170センチ、56キロ。箱根駅伝では98回大会9区3位、99回大会9区6位、100回大会4区3位。自己ベストは10000メートル28分12秒17、ハーフマラソン1時間2分35秒、フルマラソン2時間15分12秒。

 

卒業後はトヨタ自動車に入社し、競技を続ける。座右の銘は「神様は見てる」。幼い頃から、宮崎市を春のキャンプ地とするプロ野球・巨人のファン。同学年で硬式野球部の西舘勇陽投手(法4)と面識はないが、巨人からのドラフト1位指名はうれしかったという。

㊤㊨最終10区の柴田大地選手(中央)をフィニッシュ地点で出迎えた湯浅仁選手(右)。左は中野翔太選手 ⓒGetsuriku

陸上ひとすじの4年間
まじめに地道な努力を積み重ねる
学生記者 谷井花蓮(総合政策3)

「まじめに地道な努力を積み重ねてきた人が最後に笑う」という言葉を体現している人だ。最も印象に残ったのは「やる気がなくなったことがない」という言葉。この言葉を聞いたとき、「こんなにも自分にストイックな人がいるのか」と衝撃を受けた。普通の人では維持できないようなストイックさに感心してしまった。
 

入学当初は、練習についていくのが精いっぱいだった。力不足だったと振り返った1、2年生の頃は、練習しても結果が出ないことに、一体何をしたらよいのか分からなくなってしまったという。それでも、自分に対するストイックな姿勢と、周囲への感謝の気持ちを胸に努力を怠らなかった。


「自分より強い選手に勝つには、より練習の量をこなさなければならない」と考え、オフの日にも必ず走り、睡眠を長くして、栄養のある食事を取るように心がけた。出身の宮崎から遠い東京の大学に進学して「走らない理由はない」と、初心を忘れることなく練習に打ち込んだ。さまざまな人の協力で競技が成り立っていることを思い、お世話になっている人への感謝の気持ちを忘れることなく、恩返しのために結果にこだわった。


このように、陸上ひとすじで大学4年間を過ごしてきたことに、話を聞きながら感心してしまった。


私は勉強や部活動でうまくいかないときに落ち込んでしまい、やる気が出ないことが多々ある。そのようなときは、何のために中央大学に入学したのか、なぜ入部したのかを再確認しようと思う。そして、自分が行っていることは全て、誰かの協力で成り立っていることを常に念頭に置くようにしたい。

「湯浅選手のようにストイックな人になりたい」

落ち込まず、ひたすらに前を向いて進んできた湯浅選手のように、自分に対してストイックな人になりたいと思っている。
 

湯浅選手は陸上競技のことを「他の競技と比べて自分が練習した分だけ(結果となって)返ってくる。一番努力した選手が勝つ競技だ」と捉えている。駅伝や長距離走はまさに、ひたむきに泥くさく努力を続けられるという湯浅選手の強みにぴったりと合った競技といえる。卒業して社会人になっても競技を続ける湯浅選手にとって、“天職”といってもいいのではないか。
 

今回の取材はとても楽しく刺激的だった。湯浅選手のまじめな人柄がよく伝わってきた。陸上競技への思いは衝撃を受けるほど熱いものだった。これまで以上に一層、湯浅選手を応援したいと思った。
 

「湯浅選手、4年間、本当にお疲れさまでした」

(左から)学生記者の吉田未来さん、湯浅選手、学生記者の谷井花蓮さん

「理想のリーダー像」
真摯な姿勢で競技に取り組む
学生記者 吉田未来(理工2)

伝統校である中央大学の陸上競技部長距離ブロックで主将を務めた湯浅仁選手に、これまでの4年間と今後の目標について語っていただいた。取材中の少し緊張した面持ちが印象的だった。本人によると意外にもシャイな一面があるとのこと。取材を進めるにつれて表情が和らぎ、人となりを知ることができる貴重な時間となった。

 

陸上競技に対する思い、指導者やチームメイトに対する感謝を淡々と語ってくれた。しかし、今回の箱根駅伝について語る表情からは悔しさがにじみ出ていた。本気で日本一を目指していたことがひしひしと伝わってきた。「入学時は力がなかったけれど、それでも(選手の力量の有無に関係なく)平等に指導してくれた監督とコーチに、結果で恩返ししたかった」と素直な思いが聞けた。
 

陸上競技と向き合う姿勢も印象的だった。「一番努力した選手が、一番結果を残すと信じて4年間走り抜いた。走らない理由はなかった」。そう語る表情から達成感を感じ取れ、アスリートとしての魅力が存分に伝わってきた。

挨拶、清掃、食事…「当たり前」を大事に日々を過ごす

気持ちの浮き沈みがなく、真摯に競技に取り組む姿勢はまさに理想のリーダー像だ。後輩へのメッセージを頼むと、「競技以外の部分で成長してほしい。それが競技の結果にもつながる」と言葉を残した。

挨拶や日々の清掃、食事、睡眠、ケアなどの「当たり前」に重点を置いて生活したことが4年間の成長につながったそうだ。この非常にストイックな姿勢はチームに良い刺激となっただろう。

「やる気がなくなった経験はなく、お世話になった人を思い出して頑張った」という言葉に胸を打たれた。「中途半端にやるくらいなら、やめた方がいい。泥くさく、貪欲に陸上競技に向き合ってきた」。そんな言葉の数々から競技以外の部分の人間性が伝わってきた。

オフの過ごし方について質問すると、「休みの日でも必ず走る」と答えた。ストイックな姿勢は練習の日も休みの日も変わらないようだ。しかし、学生らしい一面もあると語り、寮ではSNSを見てゴロゴロ過ごす時間もあるそうだ。人間味を感じることができてうれしかった。

今回の取材を通して、湯浅選手の大ファンになった。社会人でも陸上競技を続けると聞いた。今後の目標は「マラソンで日の丸を背負う」こと。湯浅選手の今後に期待したい。

吉居駿恭選手が7区区間賞

第100回箱根駅伝(2024年1月2、3日) 中央大学 区間記録

   選手名(学部・学年) 記録(時・分・秒)

1区  溜池 一太(文2)  1・02・51 ⑲
2区  吉居 大和(法4)  1・08・04 ⑮
3区  中野 翔太(法4)  1・04・33 ⑳
4区  湯浅 仁(経済4)  1・01・44 ③
5区  山﨑 草太(文1)  1・13・23 ⑭
           往路13位=5時間30分35秒

 

6区  浦田 優斗(経済3)   58・37 ⑤
7区  吉居 駿恭(法2)  1・02・27 ①=区間賞
8区  阿部 陽樹(文3)  1・08・54 ㉒
9区  白川 陽大(文2)  1・11・14 ⑯
10区    柴田 大地(文1)  1・10・11 ⑨
                                        復路13位=5時間31分23秒
                                        総合13位=11時間01分58秒
                                                        ※丸数字は区間順位

ⓒGetsuriku

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