2024.03.25

「特攻と中央大学」研究 命の尊さ、平和を考える
戦火に散った中大出身の特攻隊員の軌跡を調査
松野良一国際情報学部教授のFLPジャーナリズム・ゼミ

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FLP ジャーナリズムプログラム松野良一ゼミの学生たちが、第二次世界大戦末期の日本軍の特攻作戦で亡くなった中央大学出身の先輩たちの軌跡を丹念に調査し、長く記憶にとどめようというプロジェクト「特攻と中央大学―記憶を後世に―」に取り組んでいる。学徒出陣から80年目にあたる2023年の10月、学員(卒業生)が特攻隊員として飛び立った兵庫県加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡で慰霊式が開催された。ゼミ生たちは式典後に研究発表を行い、特攻に至るまでの年月を日記に残したある特攻隊員の思いに迫るドキュメンタリー映像を上映した。

 

世界各地で武力紛争、戦争が絶えない現状にあって、FLPゼミでの研究は、ゼミ生自身にとっても、平和や命の尊さを考える拠りどころとなっている。ドキュメンタリー映像の制作で監督(ディレクター)を務めた伊藤光雪(みゆ)さん(国際情報学部4年)と、研究発表を担当した佐藤ちひろさん(総合政策学部3年)に研究のことや、学びの意義などを尋ねた。

鶉野飛行場跡の平和祈念の碑

ゼミ生の佐藤ちひろさん

特攻志願の卒業生
大岩虎吉少尉を慰霊

2023年10月14日の慰霊式と、鶉野飛行場跡にある戦史を伝えるミュージアム「soraかさい」などの見学会の後、ゼミ生の佐藤ちひろさんは、日頃の研究の概要を発表した。

 

1943年の学徒出陣(それ以前の繰り上げ卒業を含む)に伴い、特攻で58人、戦艦大和の関連など「準特攻」で6人の計64人の中大学徒が戦死したこと、中央大学学員戦没者名簿と特攻隊に関する現存する資料をもとに手作業で照合を進めるといった調査方法や、学徒たちの生きた軌跡を調査し、掘り起こし、次代へ記録として残す意味など、プロジェクトの概要を説明した。戦争や戦争体験に関する調査・研究は、歴代のゼミ生が2006年から続けているという。

 

慰霊式では、鶉野飛行場から飛び立ち、戦死した特攻隊員の名を刻んだ碑を前に、参列した中央大学の大村雅彦理事長、近畿ブロックの白門会の学員ら約50人が献花して黙祷をささげた。

 

碑に刻まれた氏名の中に、卒業生の大岩虎吉少尉の名があった。愛知県出身の大岩少尉は、中大在学中に高等文官試験司法科(現在の司法試験に相当)に合格したものの、戦況悪化に伴って1943年に繰り上げ卒業。海軍予備学生(13期)を経て、教官を務めていた。1945年4月6日、第1護皇白鷺(はくろ)隊の一員として鶉野飛行場を飛び立ち、最後は鹿児島県の串くしら良基地から97式艦上攻撃機で出撃し、沖縄方面にて戦死している。

変わらぬ思い 「大切な人の命を守りたい」

慰霊式の後、ゼミ生の研究発表が行われた=2023年10月14日

「なぜ取材したいのですか」。ゼミ生の佐藤さんは、大岩少尉の遺族の問いかけに言葉が詰まり、はっきりと答えられなかった。その後、手紙でやり取りをしてプロジェクトの趣旨を説明し、最終的に対面で話を聞くことができた。丁寧に取材に応じてくれた遺族の思いに感謝するとともに、大切な話を聞けた証しとして今後、書籍や映像に残したいと考えている。

 

大岩少尉が特攻を志願した心情について、佐藤さんは、鶉野飛行場の調査を30年以上行ってきた研究の第一人者、上谷昭夫さんから「妻や義父に残した手紙には、家族を大切に思う気持ちが書かれている」と聞いた。

 

「特攻に志願した大岩少尉の心の奥には、家族ら大切な人の命を守りたいという思いがあった。時代が変わっても、同じように私たちも胸に思っていることです。大岩少尉の人生を伝えることで平和といわれる今の時代のもろさと、尊さを私は伝えたい」。取材を経た今ではそんな思いが佐藤さんの胸に残っているという。

◇鶉野(うずらの)飛行場

 

1943年に開設。所在地は兵庫県加西市鶉野町。加西市ホームページによると、パイロット養成のために設置された旧⽇本海軍の練習航空隊の飛行場。正式名称は「姫路海軍航空隊」で、地元では鶉野⾶⾏場と呼ばれている。

 

飛行場南西部にあった航空機製作⼯場で、第二次世界大戦終戦まで「紫電」「紫電改」など 500機余の戦闘機が組み⽴てられ、試験飛行が行われたという。飛行場跡に、戦史を伝えるミュージアム「soraかさい」や、特攻隊員の遺書などを公開している資料館、防空壕などがあり、戦争の歴史を伝え残し、平和の学びの場として活用されている。

遺族と面会するまでの道のり

ゼミ生の伊藤光雪さんが監督を務めた「南西諸島の空から―ある特攻隊員の日記―」(40分)は、1945年4月6日に沖縄戦の陸軍第一次航空隊総攻撃で特攻隊員として戦死した富澤健児少尉の生涯に迫ったドキュメンタリー映像だ。

 

映像の中で伊藤さんは、中央大学学員戦没者名簿と特攻隊の全容をまとめた「特別攻撃隊全史」を照合するなどし、「わかったのは事実関係だけ。どういう少年時代を送り、どのような学生だったか、どういう思いで出撃したかを(遺族に)聞けないだろうかと考えました」と言葉を継いだ。

 

この後、富澤少尉の遺族を探し始め、出身の東京都墨田区向島の電話帳で苗字を頼りに電話をかけたが所在は判明せず、現地を訪問すると弟が亡くなっていた。このとき、遺族を知る近所の人が運よく見つかり、その紹介で2021年10月2日に、おいの冨澤利章さんと小澤正名さん、めいの渡辺聡美さんに話を聞くことができた。

 

富澤少尉のケースに限らず、調査にあたるゼミ生は遺族に会えたり、話を聞けたりするまでが困難で、たとえ面会できても詳細な話を知らない人も多い。その意味で、遺族との面会を収録したドキュメンタリー映像が完成したのは奇跡ともいえる。

富澤健児少尉(ドキュメンタリー映像「南西諸島の空から―ある特攻隊員の日記―」より)

万世特攻平和祈念館に残る富澤健児少尉の遺書(ドキュメンタリー映像「南西諸島の空から―ある特攻隊員の日記―」より)

12冊の日記…先輩の生きた証しを残したい

(写真右から)富澤健児少尉のおいの冨澤利章さんと小澤正名さん、
めいの渡辺聡美さん、ゼミ生の伊藤光雪さん=2021年10月2日

伊藤さんは3人を取材して「温和で優しく成績優秀だった」という富澤少尉の人柄に触れ、保管されていたノート12冊の日記を託された。以後、1941年の元日から始まる日記を精読したほか、防衛省防衛研究所や国立公文書館の史資料を読んで確認するなど、ドキュメンタリーの制作作業に没頭した。映像の一部はアメリカ国立公文書館から提供を受けた。

 

「日記を読むと、特攻で亡くなった先輩が、今の私たちと何ら変わらない学生だったことがわかります」。学生生活や、英語の試験など学修に関する記述などからそう痛感した。

 

ドキュメンタリーのタイトルにも名付けた通り、遺族から日記を託されたことが映像制作を強く後押しした。平和な時代を生きる中央大学の後輩として、先輩の特攻隊員の生きた証しを残したいという思いは調査・研究と、制作の原動力となった。

遺族の思い「何を言っても足りないと思う」

ドキュメンタリー映像の監督を務めた伊藤光雪さん

完成したドキュメンタリー映像のDVDをおいの冨澤利章さんに手渡すと、「家宝にする。おじ(富澤少尉)も喜んでいるはずです」と感謝されたという。

 

ただ、伊藤さんは、「昔のことを知る戦争体験者が亡くなり、少なくなってきている。戦争の取材は今やらないとできなくなる。遺族が遺品を手放したら調査もできなくなるかもしれない」と危機感も覚えている。卒業後は報道記者として働く予定で、今回の映像制作で記者の仕事の意義、やりがいの一端を感じ取った。

 

インタビューの最後で、いま富澤少尉にかける言葉を尋ねられた冨澤利章さんは「おつかれさまとしか言いようがないかな。何を言っても足りないと思うよね」と息をついたきり、言葉を継げなくなった。

 

「感謝したくても、感謝していいのかという思いもあるのではないか。遺族の思いはこの一言に詰まっている」。伊藤さんはそう感じたという。

ドキュメンタリー映像「南西諸島の空から―ある特攻隊員の日記―」

万世特攻平和祈念館の語り部、小屋敷茂さん(左)を取材する伊藤光雪さんらゼミ生

東京都墨田区向島出身の富澤健児少尉は1941年4月に中央大学に入学。戦況悪化のため1943年9月に専門部商科夜間部を繰り上げ卒業し、翌月に特別操縦見習士官1期生として採用された。1945年2月、転属先の下志津飛行隊(千葉)で特攻の編成準備が下令され、自身の特攻作戦への参加を知ることになる。同年3月の米軍の慶良間諸島上陸を受け、4月6日に特攻隊第62振武隊として出撃した沖縄戦で、23歳の若さで亡くなった。

 

ドキュメンタリー映像は、富澤少尉が残したノート12冊分の日記、めいとおいの遺族3人への取材映像、出撃した鹿児島県南さつま市の万世飛行場跡に立つ万世特攻平和祈念館の語り部と、南九州市の知覧特攻平和会館の学芸員による特攻隊や特別操縦見習士官に関する解説の映像、万世特攻平和祈念館に残る遺書などで構成されている。

 

日本軍が最後に造った飛行場となった万世飛行場は1945年3月から4カ月間だけ使用され、17歳前後の少年飛行兵を含む201人の若者が出撃。このうち121人が特攻隊員だった。

ドキュメンタリー映像「南西諸島の空から―ある特攻隊員の日記―」

https://www.youtube.com/watch?v=RsUMQj46HVg

 

〈協力〉

冨澤利章 小澤正名 渡辺聡美 知覧特攻平和会館 

万世特攻平和祈念館 防衛省防衛研究所

 

〈資料提供〉

アジア歴史資料センター アメリカ国立公文書館  

万世特攻平和祈念館 中央大学広報室大学史資料課

 

〈制作プロデューサー〉

伊藤光雪 藤川なな帆 杉村千依 山崎滉大

 

〈監修〉

松野良一

 

〈制作補〉

坂爪悠莉 渡邊美咲 鵜飼健司

 

〈語り〉

伊藤光雪 吉田遥希 杉山浩規

 

〈ディレクター〉

伊藤光雪

 

〈制作・著作〉

中央大学FLP 松野良一ゼミ

 

(敬称略)

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