2021.12.20
学生記者 齋藤優衣(総合政策4) 西沢美咲(総合政策2)
10月11日夜、プロ野球新人選手選択会議(ドラフト会議)で、中央大学硬式野球部主将の古賀悠斗捕手(法4)が埼玉西武ライオンズから3位で指名された。古賀選手の名前が読み上げられた瞬間、多摩キャンパスCスクエアの記者会見場では、「おーっ」という歓声とカメラマンのシャッター音が響き、大きな拍手が沸き起こった。マスク越しの古賀選手の表情にも笑みが浮かび、安心した様子なのが分かった。仲間の部員と肩をたたき合い、喜ぶ姿があった。
㊤中大マスコットキャラクター「チュー王子」も祝福に駆け付けた⁈
㊧スローイングのポーズを取る古賀悠斗選手
大型スクリーンにリアルタイムでドラフト会 議の映像が流れる会見場では、古賀選手や清水達也監督、樫山和男硬式野球部会長のほか、カメラマンや記者ら約40人の報道関係者、そして私たち「HAKUMON Chuo」の学生記者が待機していた。
ドラフト会議開始前、会見場に古賀選手が入場すると、カメラマンをはじめ、皆の視線が一気に集まった。古賀選手はチームメイトと談笑し、リラックスした表情に見えた。古賀選手の両サイド、後方には、ともに野球に打ち込んできたチームメイトたちが見守るような形で陣取る。前年と同じコロナ禍で、報道陣ら全員が検温と消毒を済ませて入場し、座席もソーシャルディスタンスが保たれていた。私たち学生記者も同じ手順で席に着いた。
会議が始まると、会見場も緊張感に包まれた。古賀選手は真剣なまなざしでスクリーンを見つめ、報道カメラマンはいつ指名が来てもいいように準備をしていた。学生記者の私も指名の瞬間を見逃さないように気を引き締めて待機した。
「一年目から勝負」。決意を色紙に込めた
今か今かと古賀選手の名前が呼ばれるのをやきもきした思いで待ったが、1巡目、2巡目と指名はなかった。古賀選手に慌てるような様子はなく、落ち着いた様子だ。
そして3巡目。
「埼玉西武 古賀悠斗 捕手 中央大学」
歓声とシャッター音、拍手―。古賀選手もマスク越しだが、うれしそうな表情をしているのが分かった。
ほっと安心したような様子で、カメラの放列に向けて一礼。硬式野球部の仲間たちも笑顔でキャプテンを祝福していた。
満面の笑みでガッツポーズ(右は清水達也監督、左は硬式野球部の樫山和男部会長)
この後、会見に臨んだ古賀選手の受け答えや顔つきは、同じ学生と思えないほどしっかりとしていた。これからのプロ生活への期待と、熱い思いが伝わってきた。
古賀選手は「指名されてすごく、ほっとしています。プロに入ってからも感謝の気持ちを忘れず、1年目から勝負して、正捕手を勝ち取れるようにこれからも上を目指して頑張っていきたい」と心境を語った。
「1年目から勝負」という言葉が印象に残っている。プロ選手になることが目標なのではなく、その後に活躍するという高い志を感じる。プレーの魅力だけでなく、人柄も朗らかな古賀選手を今後も応援していきたい。中央大学の卒業生として存分に活躍してほしい。
古賀悠斗捕手
こが・ゆうと。福岡・福岡大大濠高卒、法学部4年。174センチ、79キロ。高校2年秋に内野手から捕手に転向した。チームは2年秋の明治神宮大会ベスト4、翌春の選抜大会では8強まで勝ち進んだ。高校通算52本塁打の強打の捕手としてU18代表にも選出された。
中大では1年春から東都リーグ戦に出場し、4年春にベストナイン。強肩が武器で、二塁送球はプロ捕手の平均とされる約1.9秒を上回る1.8秒台。「アマチュアNO.1キャッチャー」とプロの評価も高い。
報道陣からの撮影の注文に応じる古賀悠斗選手
記者会見における古賀悠斗選手の主な一問一答は次の通り。
質問(以下Q) 指名された感想と、プロ入り後の抱負を教えてほしい。
古賀選手 すごくほっとしています。プロに入ってからも感謝の気持ちを忘れず、1年目から勝負して、正捕手を勝ち取れるように上を目指して頑張っていきたい。
Q チームとしての埼玉西武ライオンズにはどのような印象があるか。
古賀選手 ものすごく勢いがあって、気持ちの強い選手が多い球団と思っています。
Q 目標の選手は。
古賀選手 (強肩で知られる同じ捕手の)ソフトバンク・ホークスの海野隆司選手を目標としてきました。
Q 1年目からレギュラーを目指して勝負するという話だが、どんなところを最もアピールしていきたいか。
古賀選手 自分のアピールポイントは、やっぱり送球。肩に自信があります。そこをアピールしていきたい。
Q プロで対戦してみたい選手は。
古賀選手 (埼玉西武が)パ・リーグということで、(中大で)1学年先輩の五十幡(亮汰)さんが北海道日本ハムファイターズにいる。足で注目されている五十幡さん(の盗塁)を自分が阻止したい。セ・リーグだったら(横浜DeNAの)牧(秀悟)さんの名前を出そうと思っていました。
Q 中央大学で学んだことを、プロでどうやって生かしていきたいか。
古賀選手 この4年間、いろいろなことを学んだ。入学当初には(東都リーグの)入れ替え戦という、ものすごくきつい思いを味わった。その次の年には優勝という素敵な経験をして、「どうやったら負けるのか」「どうやったら勝てるのか」を大学時代で味わった。自分が大学に入った理由も、知識だったり引き出しだったりを多くして、プロの世界に入りたいと思ったから。この4年間で学んだ価値観などをプロに入ってからも生かしたい。
Q 4年前の高校3年時のドラフトで、同学年の村上宗隆選手(九州学院高→東京ヤクルト)、清宮幸太郎選手(早稲田実高→北海道日本ハム)、中村奨成選手(広陵高→広島)らが1位指名され、4年がたって古賀選手も同じステージに立つことが決まった。今の率直な気持ちを聞かせてほしい。
古賀選手 自分は大学進学と決めて、仲間たちがどこの球団に行って、この4年間、どういう活躍をしているのかということを興味津々に見てきた。高校の時は仲間だったが、プロの世界に入ったらライバルになる。争って切磋琢磨していきたい。
Q 自分自身が成長したと思うところは。
古賀選手 入れ替え戦で経験した試合の緊張感だったり、そこの心の部分で、どんな苦しい試合でも戦えるような心を持てた。これがこの4年間で一番自信をもてることです。
Q 高校(福岡大大濠)でバッテリーを組んだ三浦銀二投手(法政大)が横浜DeNAに指名された。
古賀選手 三浦とは対戦したいなとは思うが、最終的な考えを言うと、もう一度バッテリーを組みたいという気持ちが大きい。プロの世界でいえば、侍ジャパンであったり、まだ先のことかもしれないが、自分は対戦というよりはもう一度バッテリーを組みたい。
Q 中央大学野球部の活動で一番印象に残っていること、学んだことは何か。
古賀選手 一番印象に残っていることは、去年、今の自分と同じ会場で牧さんと五十幡さんが自分の目の前で指名された瞬間。学んだことは、やはり入れ替え戦や、きつい練習で培われたメンタル。キャプテンとして人間的にすごく成長できたと思っている。自分のことよりもチームのこと、チームのために何をしたらチームが良くなるか、そういうことを幅広く考えられるようになった。
Q プロに入って学んでいきたいことは何か。
古賀選手 ピッチャーとのコミュニケーションであったり、環境だったり、年間を通して戦える体だったり、そうしたことをどうやったらうまくできるのか。またスタートラインに
立ったので、一から話を聞いてやっていきたい。
Q 中央大学でどのような学生生活を送ったか、野球と学生生活の両立は。
古賀選手 中央大学にきて、最初の2年間は学校に来て授業を受けていたが、3年生になってから新型コロナがはやった。リモート(授業)という難しい形ではあったが、その中でいろいろな友達や関係者の方に出会えた。中央大学に来て、人脈の広がりだったり、いろいろな話を聞いての学びがあった。
Q 後輩にメッセージがあれば聞かせてほしい。
古賀選手 自分が果たして良いキャプテンであったかはわからないが、自分がやってきたことは間違っていなかったと思う。自分がこの4年間学んだことや、キャプテンをこういう気持ちでやっていたんだよ、ということを3年生たちにこれからも伝えていきたい。
「高校生の彼を見て、『中大で一緒に日本一になろう』と言葉をかけた。キャプテンとして自分の言動がチームに与える影響が大きいという中で、技術的なことだけでなく、精神面でも成長した。卒業後はぜひプロでという思いでいたので、(ドラフト指名に)私もほっとしています。プロに入ってからも感謝の気持ちを忘れずに、1年目から勝負してレギュラーを取ってほしい」
古賀悠斗選手が埼玉西武ライオンズから指名を受けると、会見会場が拍手で包まれた。古賀選手が安堵の表情をみせると、私の胸も喜ばしい気持ちでいっぱいになった。
ドラフト会議が行われた10月11日は、もともとは「スポーツの日」であった(東京五輪の関係で2021年は祝日にならなかった)。私はどこか不思議な縁を感じながら、記者会見が行われる多摩キャンパスのCスクエアに向かった。
会場には多くの報道陣や硬式野球部員たち、大学関係者が集まっていて、少し不安なような、それでいて晴れ晴れしい祝福の門出の前触れのような、張り詰めた空気が漂っていた。
私自身が大学4年生ということもあり、就職活動を体験した身としては非常に緊張する取材であった。この時間で大学卒業後の進路が決まると思うと、ドラフト会議の間中、どの選手も落ち着かなかったはずだ。
一般的な会社でもいえることだが、採用の際にはその人物が優秀かどうかとは別に、組織におけるバランスも考慮される。ドラフト会議を見ていて、プロ野球界は特にその傾向が強いのではないかと感じた。年によっても、監督によっても、「チームに求められる力」というのは変わってくる。力のある選手であっても、球団に必要とされるかはまた別の話である。だからこそ注目度も高いし、指名された選手にとって喜びもひとしおなはずだ。
記者会見の後、私たち学生記者は古賀選手のもとへ向かった。指名後すぐの会見では、少し硬い表情で受け答えしていた古賀選手が満面の笑みをみせてくれた。にっこりした様子に、私もほっとした。一緒に記念撮影をし、「おめでとうございます」と声をかけると、「ありがとうございます! 頑張ります」と丁寧に答えてくれた。とても親しみやすく、応援したくなる人柄だと感じた。インタビューで次の目標をしっかりと答えていたのをみて、私自身も頑張ろうと力をもらえたような気がした。
私は大学1年生の時から、この「HAKUMON Chuo」で学生記者の活動に携わっている。初めて取材したのは、会社員として働く傍ら、プロのダーツ選手として活躍する中大卒の女性であった。2年時には箱根駅伝の予選会の様子を取材した。新型コロナウイルスが猛威を振るった3年時はコロナ禍での日常生活の変化や、自身の暮らしている寮生活について執筆した。
そして4年生となった今回、プロ野球のドラフト会議という、選手の人生の節目となる貴重な場面を取材させていただいた。どの体験も刺激的で、特に取材ではその方の人柄や思い、生き方について触れることができた。
普段の生活では関わることのない人たちに出会うことは、自分自身にとって大きな学びとなった。駅伝やドラフトなど数々の“瞬間”に遭遇できたことは、きっとこれからも忘れないと思う。取材を通して、こうした瞬間やその人の思いをくみ取り、伝えることができるというのは、非常に貴重な経験であると感じている。
古賀悠斗選手と学生記者の齋藤優衣さん(右)、西沢美咲さん
今回は、私にとって初の対面での記者会見という形の取材となった。新型コロナウイルスの影響で、オンラインによる取材や、学生記者1人での取材が多かったため今回の取材をとても楽しみにしていた。また、もう一人同じ総合政策学部の4年生の齋藤優衣さんも一緒に取材をしたため安心感があった。
会場に足を踏み入れると、すでに多くの報道陣の方々が場所をとっていた。初めての経験だったため、内心緊張した。初めて見るテレビ局のカメラマンや、記者の方々。プロが仕事をする姿を近くで見ることができたこと、本当の記者のような経験をできたことは、学生記者ならではの貴重な経験だったと思う。
古賀悠斗選手は3巡目で埼玉西武ライオンズから指名された。会場は歓喜に包まれた。マスク越しでも分かる古賀選手のうれしそうな表情が印象に残っている。古賀選手や硬式野球部員が喜ぶ姿を見て、私もうれしい気持ちとともに安心感を覚えた。古賀選手にとって最高の瞬間を取材できたことを喜ばしく思っている。
その後の記者会見での古賀選手の姿は、堂々としていて大人びた印象を受けた。同じ大学生と思えないような立派な姿は、これからプロの世界へ踏み出すのにふさわしい人だと思った。
そして、「1年目から勝負」という熱い思いと希望に満ちた古賀選手から、勇気とパワーをもらうことができた。今まで野球を頑張り続け、夢のプロの世界に入ることが決まった古賀選手の姿を取材して、私もこれからの学生生活を全うし、来年に控えた就職活動に向けて頑張っていきたいと思った。
会見終了後、古賀選手と写真を撮ることができた。写真を撮る際に「ピースしますか?」と気さくに話しかけてくださったのが印象的だった。顔の表情がほぐれていて、さっきまでの緊張が解けた様子だった。「頑張ってください」と言葉をかけた。親しみやすく、礼儀正しい古賀選手は人柄もすばらしかった。同じ中大生として今後の活躍を応援したいと思う。
学生記者の取材を通して、さまざまな分野やスポーツで活躍する人と接してきたが、礼儀正しく応援したくなるような人が多い印象だ。取材を通して、私自身に頑張ろうと思わせてくれる。今回の取材でも、古賀選手から力をもらうことができた。私にはまだ中大生として過ごす時間があるので、学業やサークルなど後悔のないように有意義な学生生活を送りたいと思う。