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2026.04.27

失敗を恐れずに挑戦する! 心配性な私を変えた「大役」
やればやるほど楽しくなる部活動
「中大スポーツ」前編集長 琴寄由佳梨さん(総合政策4)

学生記者 荒田智海(文3)

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どうしたら良い紙面ができるのか。この一年、「中スポ」のことばかり考え続けてきた。中大スポーツ編集長として最後の編集作業に取り組み、2026年1月号を完成させた後、琴寄由佳梨さん(総合政策4)は、寂しさと喪失感が胸に込み上げたという。締め切りに追われ、焦燥の日々を送りながらも、「やればやるほど楽しくなる部活動。編集長としての一年はあっという間でした」と振り返り、「今を大事に過ごし、挑戦する気持ちを忘れないでほしい」と後輩たちにメッセージを送っている。(取材先や印刷所などで撮影された写真は琴寄さん提供)

「選手の頑張りを伝える」

 

編集長として最後に携わった2026年1月号は、1面と3面で、直前の箱根駅伝を走った陸上競技部長距離ブロックの選手たちの思いに迫った。吉居駿恭(しゅんすけ)駅伝主将、エースの溜池一太選手ら4年生(当時)を中心としたメンバーたちに「優勝してほしい」という願いはかなわなかったが、琴寄さんは「中大らしい駅伝だった」と感じたという。「総合優勝という目標は達成できなかったけれど、下級生が主力級の走りを見せて『全員駅伝』を体現してくれた」と受け止めたからだ。

 

だからこそ、紙面で選手たちの頑張りを伝えたかった。見出しやレイアウト、掲載する写真の選定に神経をそそぎながら、思いを込めてページを作り上げた。「レイアウト 琴寄由佳梨」の文字が、紙面の左端で控えめに、しかし、確かな輝きを放っているように映る。

 

編集長の仕事は、年6~7回発行する紙面の編集会議と発行後の反省会議の進行、紙面方針の決定など制作全般の統括、印刷会社との折衝などと多岐にわたる。中スポ役員の代替わりの際、編集長に立候補し、2025年2月に就任した。

「不器用な本気」で駆け抜けた一年

 

「心配性で新しい環境や場所に飛び込んだりするのは苦手だった」と振り返る一方で、「やるなら中スポに所属している今しかない」と、胸の内のどこかに自分の殻を破りたいという意識があったのかもしれない。部員の投票を経て新編集長に決まって以来、中スポのことを考えなかった日はほとんどなかったと思っている。

 

それまでリーダーの役割を務めた経験はほとんどなかった。編集会議や反省会議では議事進行が滞ってしまう場面もあり、先輩の編集長たちの姿を思い返して、「もっとスムーズに進めたい」と感じたこともあった。編集長として皆に伝えたい思いや考えを、どのような言葉に託したらいいのだろうか。友達や家族にも相談した。自己嫌悪に陥ったことも一度や二度ではなかったが、そうした経験はやがて、自らの成長へと結びついた。

 

2026年1月号の1面に掲載した署名記事(コラム)の「Center Position」では、次のように綴っている。

 

 

《編集長として奔走した1年間は「不器用な本気」その一言で表せると思う。中スポの可能性を広げたいと立候補したが、リーダー経験の乏しい私にとって、その大役は想像以上に重かった。理想とかけ離れている現実や正解が分からない選択に向き合うたび自らのふがいなさを痛感する日々。それでも等身大の自分を受け入れ、必死に向き合い続けてきた。器用にはこなせなかったが逃げることは決してしなかったと胸を張って言える》

広げた「中スポの可能性」
カラーページ増、他大学と合同制作も

学生ら読者からの反響とともに、活躍を紹介した現役生のアスリートたちがインスタグラムのストーリーやSNSのリンクで記事を紹介してくれたとき、編集長として、記者として喜びを感じた。もちろん、それは編集や取材のやりがい、モチベーションへとつながっていく。

 

2025年の秋以降は、プロ野球のドラフト号(10月)、11大学合同箱根駅伝特別号(11月)、11月号、箱根駅伝号、1月号と目まぐるしく制作作業に没頭した。紙面用の特殊なレイアウトを組めるコンピューターを操作するため、印刷所のある東京都江東区と多摩キャンパスを行き来するハードな日々が続いたという。箱根駅伝特別号は、学生スポーツ紙を発行するほかの大学の仲間とともに合同で制作し、中大は早稲田大、青山学院大とともに幹事校の一つを務めた。

 

また、新聞社に入社した中スポOBの協力を得て、記事、写真、レイアウトの各講座の開催を、編集長として主導した。就任当初から開催を目標の一つに掲げており、部員が取材や編集と向き合う上での意識改革に結び付いたと思っている。カラーページを増やしたことや、1月号に掲載した「Cを背負ったキャプテンからのラストメッセージ」は琴寄さんの発案だ。

 

「合同特別号やカラー増など『やりたい』と言ったことが形になり、部員に『よかった』と思ってもらえたことが自信になりました」と控えめにほほ笑んだ琴寄さん。編集長の大役は「失敗を恐れずに何事にも挑戦しようという気持ち」を抱くことができた何よりの得難い経験となった。

琴寄由佳梨さん

 

ことより・ゆかり。茨城県出身。東京・東洋英和女学院高等部卒、総合政策学部4年。中大スポーツの34代目編集長。女性の編集長は12年ぶりという。編集長であると同時に、記者として、陸上競技、ラクロス、水泳、ワンダーフォーゲルを担当した。

 



 

「スポーツ好き」の人、歓迎します!

中大スポーツ」新聞部

 

1993年創部。学友会体育連盟に所属し、体育連盟の機関紙「中大スポーツ」を年6、7回発行している。4月現在の部員数は35人(新2、3年生)。取材を担当する競技は、部員本人の希望を踏まえて、担当者数や繁忙期などを考慮して決められる。前編集長の琴寄さんは「皆で観戦して、取材力や文章力も身につきます。友達もできる。スポーツ好きの人にはお勧めできる活動です」と呼びかけている。

姉の永里加さん(2026年卒)も中スポ部員
記事のお手本にも

姉の永里加さん(右)とJリーグ・水戸ホーリーホック―いわきFC戦を観戦
(2025年3月)

 

 

 

琴寄由佳梨さんに「中大スポーツ」新聞部に入部した理由を尋ねると、もともとのスポーツ好きに加え、部の先輩である1学年上の姉、永里加さん(2026年卒)の存在を挙げた。「(サッカー部OBの)中村憲剛さんら、さまざまな人に取材して話を聞けた」「こんな記事を書くことができた」と、入学前から永里加さんに教えてもらい、活動に魅力を感じていた。ソフトテニス担当が長かった永里加さんの記事をお手本にしていたという。

 

取材を通じて、アスリートの中大生を見つめ続けた。競技と向き合う姿勢、必死になって打ち込む姿に、「いつもすごいなと思いながら、話を聞かせていただいていた」という。

 

4年間で印象に残っている記事は、学生スポーツに特化したデジタルメディア「4years.」に寄稿した陸上競技部短距離ブロックの田邉奨選手(商3、日本インカレ400メートル連覇)を紹介した記事と、入学後に最初に書いた陸上競技部長距離ブロックの浦田優斗選手(2024、25年箱根駅伝出走)の記事という。

楽しかった!中スポの活動
たくさんのアスリートに会い、貴重なお話を数多く伺いました!

取材で訪れた静岡県草薙総合運動場で。左は中スポ同期の橋本唯花さん(2025年9月)

箱根駅伝の沿道で中大ランナーを応援

取材中の真剣な表情(2024年11月)

刷り上がったばかりの中スポです!(2026年1月)

部員と訪れた出雲駅伝の取材。終了後に記念撮影(2025年10月)

【取材後記】
「挑戦する心を忘れないでいたい」 妥協しない、より良い紙面作りに傾注
学生記者 荒田智海(文3)

いつもはインタビュアーの琴寄由佳梨さんだが、今回はインタビュイーの立場から編集長としての思いを語ってくれた。「中大スポーツ」新聞部の一番の存在意義は、一般のスポーツ新聞などでなかなか取り上げられないが、輝かしい成績を残した中大生の活躍を紹介できるところ。日頃スポットライトを浴びる機会の少ない選手たちを取材し、記事として形に残すことに価値を見出していた。

 

ときには北海道や沖縄といった遠方にも足を運ぶ。躍動する選手たちを間近で見て、試合後はたとえ1、2分という短時間でも話を聞く。その場にいること、現地でしか得られない情報はたくさんある。軽快なフットワークで1次情報をつかみに行く、その行動力が説得力のある紙面につながっているのだなと感じた。

 

紙面の方向性を決めたり、編集会議を仕切ったり、編集長という立場はほかにも多くの役割を担う。譲れないこだわりは、「妥協しないこと」という。締め切り直前でも「ここも直したい、あそこも直したい」とチェックが入り、ぎりぎりまで細かい修正を繰り返す。納得できる、より良い紙面を作るため、先頭に立って部員を引っ張った。

 

“最前線”で考え抜いたからこそ、読者から励ましの手紙が届いたときや、取材対象の選手たちが記事に反応してくれたときに、さらなるモチベーションを得たという。

「知らなかった自分」に気づく
インタビューの醍醐味

 

編集長として「新たなことにチャレンジしたい」と考えていた琴寄さん。印刷所の変更や中スポOBによる新聞講座も企画し、後輩たちがより成長できる環境作りにも力を入れた。自身を「慎重な性格」と分析し、何事にも十分な余裕をもって行動しているそうだが、組織全体を俯瞰(ふかん)しながら、次の一手を投じる攻めの姿勢も見逃せない。

 

新たに「動画班」も作り、より多くの方に認知してもらえるようなアイデアも進めている。「もし、うまくいかなかったら…」と少しの不安を抱えながらも、「挑戦する心を忘れないでいたい」と熱っぽく語る姿が印象に残った。

 

「今日はすごく考えましたね」。インタビューをひと通り終えると、そんな言葉が返ってきた。さまざまな問いかけに向き合う中で、頭の片隅にぼんやりとあったことや、これまでうまく言葉に表せなかった思い、半ば無意識のうちに重ねてきたような行動の意味について、琴寄さん自身が振り返る機会となったのかもしれない。

 

準備した質問を尋ねるだけではなく、言葉のキャッチボールを楽しむような対話が進めば、双方にとって充実したインタビューといえる。知らなかった自分に気づく。それができるのもインタビューの魅力のひとつなのだ。

 

私は先日、スペインのバルセロナを旅行し、世界遺産のサグラダ・ファミリアを見学した。完成を急がないガウディ建築を目に焼き付けた。比較するものではないのだが、新聞の完成までの道のりは全く逆ではないか。発行回数や発行日はあらかじめ決まっていて、原稿の締め切りや、制約のある中での取材と、常に時間のしばりがある。

 

どちらも途方もない労力と情熱がそそがれていることは同じだろう。琴寄さんへの取材を終えて、時間の制約の中で最高の紙面を追求するからこそ生まれる価値について考えを巡らせている。

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