2021.07.13

「翻訳家」への大きな自信に
学生字幕翻訳コンテストで最優秀賞
森美樹さん(文2)が快挙
NY独立放送局「デモクラシー・ナウ!」の日本団体主催

学生記者 鈴木人生(文3)

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「ピタリと当てはまる言葉が見つかった時はとても楽しいです。もとの文章が訴えていることを日本語でも同じように表現できるところに、やりがいを感じます」

 

文学部人文社会学科哲学専攻2年の森美樹さんは、昨年開催された「第6回デモクラシー・ナウ!学生字幕翻訳コンテスト2020」で見事、最優秀賞に輝いた。受賞を知らせるメールを読んだときは「(最優秀賞が)自分でいいのかな」と驚いたという。

小学生のとき「脳脊髄液減少症」に

学生字幕翻訳コンテストで最優秀賞を受賞した森美樹さん

「デモクラシー・ナウ!」の翻訳コンテストに応募した理由について、森さんは「昨年の秋ごろ、大学のオンライン授業にも慣れ、課題の提出にも少し余裕が出てきました。そんなときに、この字幕翻訳コンテストを見つけました。内容が社会問題をテーマに扱ったものだったので、翻訳を通じて自身の考えを深めることができる。そう思って、今回挑戦することに決めました」と振り返る。

 

森さんは父親の仕事のため2~4歳は米国、5~8歳はベルギーで暮らした。日本に戻り、小学3年生のころに「脳脊髄液減少症」という病気が発症した。脳脊髄液は脳と脊髄を浮かべている液体で、それが減ってしまうと、起立性頭痛やめまいなどの体調不良を引き起こす。

 

原因は、患者によってさまざまだが、森さんの場合は当時通っていた体操教室のブリッジの練習の際、何度も頭部を打ったことが影響したとされる。

 

「私はこれから体調が良くなるのだろうか。普通に生活できるのだろうか。そんな不安がありました。もし一般企業に就職できないとしたら、家でできる仕事は何があるだろう。中学生のころには、自分なりに将来のことを想像していました」

 

今回のコンテストでは「気候危機と資本主義」をテーマにしたインタビュー動画の字幕翻訳に取り組んだ。「気候変動と不平等、これらの解決を資本主義が阻害している」という問題について、インタビュアーがインド人作家のアルンダティ・ロイ氏に詳しく尋ねていく内容だ。テーマは他にもあったが、最初にサイト上で視聴したこのインタビューに強く感銘を受けた。

話し手の考えの「核」を簡潔に伝える

「アルンダティさんの言葉って、痛烈で、最初は怖いなって…。でも、だからこそ、私の心に響くものがありました。彼女のメッセージを他の人にも伝えたいという気持ちになりました」

 

翻訳に取り組むにあたっては、話し手の作家が出演する他の動画を見たり、インターネットを利用したりして、内容の背景を頭に入れた。翻訳作業で工夫しているところについてこう語る。

 

「知らない言葉が出てきたときに、辞書を引いて出てきた訳をそのまま当てはめるのではなく、他により良い言葉がないかを検討します。これは英語、ドイツ語といった大学の授業などでも、普段から心がけていることです。他にも、話し手が考えていることの『核』の部分を簡潔に伝えられるよう意識しました」

 

「翻訳家」という職業をはっきりと意識するようになったのは、高校1年生のとき。在宅で仕事ができる上に、幼少期の海外経験も少しは生かせると思ったという。

 

コンテストに応募した原稿には、プロの翻訳家の手直しが入った。後日受け取ったフィードバックや、校正後の字幕を見ると、その差は歴然だったという。より洗練された表現ができるように、これからもっと磨きをかけていきたいと意気込む。

「翻訳コンテストにもっと挑戦したい」

翻訳コンテストの存在は高校時代に知った。当時、別のコンテストに応募したこともあったが、入賞には至らなかった。中大入学後はSDGsやBLM(ブラック・ライブズ・マター)などの社会問題に、より強い関心を抱くようになった。文学部の共通科目である「文化人類学」を履修したことがきっかけだ。

 

「去年、受けましたが、本当に面白くて。期末課題は授業で自分が学んだことから、何か作るというものでした。前期の講義では、歌手のビリー・アイリッシュさんがインスタグラムに投稿していたBLMについての文章を翻訳して、課題レポートとして提出しました」

 

最優秀賞を受賞したことで、「翻訳のコンテストにもっと挑戦したい」という気持ちが強まった。引き続き、社会問題をテーマに扱うものに取り組む一方で、小説というジャンルも視野に入れている。

 

「受賞するまでは、翻訳という仕事もあるのかな…と漠然と思っていただけでした。今回のことがきっかけで、自信がつき、翻訳家という選択肢がより明確になりました」

 

森さんの夢は、ユーラシア大陸を横断することだ。シベリア鉄道に乗り、途中下車しながら、のんびりと大陸を旅したい。高校時代から、そう思ってきた。新型コロナウイルスによる混乱が収まり、自身の体調が回復に向かえば、夢をかなえるつもりだ。実現したあかつきには「訪れた土地のことや移動の記録といったものを文章に残してみたい」とほほ笑んだ。

「デモクラシー・ナウ!」学生字幕翻訳コンテスト

 

森美樹さんが最優秀賞を受賞したのは、米国ニューヨークの独立放送局「デモクラシー・ナウ!」の日本団体が主催した学生字幕翻訳コンテスト。「デモクラシー・ナウ!」は、現代を代表するジャーナリストであるエイミー・グッドマン氏が設立した世界的に大きな影響を持った独立メディアだ。

 

「デモクラシー・ナウ!」の日本語サイトでは、コンテストの意義について「日本語字幕版の制作に参加することによって、国内メディアにはない視点から現代の事象を捉えることができる」「字幕で効果的に伝えるには大幅な言葉の圧縮が必要なので、内容の深い理解と的確な日本語の選択が伴になります。社会意識の高い自立した思考の持ち主を育てるため、字幕翻訳コンテストは格好の教材」などと紹介されている。

【取材後記】
人の心に寄り添った翻訳は人にしかできない
学生記者 鈴木人生(文3)

森美樹さん(左)と学生記者の鈴木人生さん

チェコ出身の画家、アルフォンス・ミュシャの連作《スラヴ叙事詩》。この作品を描くきっかけになったのは、交響詩「我が祖国」を聞いたことだといわれる。作曲は、同国出身のスメタナ。その第二曲「モルダウ」は、日本でも合唱曲として有名だ。作曲家の故郷であるチェコの風景や、そこでの暮らしを題材にしている。森美樹さんは国立新美術館(東京・六本木)が催した「ミュシャ展」に行った際、音声ガイドでこのことを知り、実際に現地に行ってスラヴについて深く知りたいと思うようになったと取材中に教えてくれた。

 

彼女は高校3年生のとき分析美学の論文を読んだ。その難しさに頭を悩ませた一方で、「何だか面白い」と感じ、大学では哲学を学んでいる。美学は人間の感性を扱う哲学の一分野だ。絵画や音楽といった諸芸術に関心を抱くのは、当然といえる。今読んでいる本を尋ねると、「源河亨(げんか・とおる)の『悲しい曲の何が悲しいのか』を読んでいます」と答えた。内容はタイトルの通り、人の情動について解説したものだという。

社会問題に強いまなざし

そういった哲学や芸術への関心と同じくらい社会問題にも強いまなざしを向けている。これは取材時に感じたことの一つだ。森さんが翻訳した字幕には、インド人作家のアルンダティ・ロイ氏による次のような発言がある。

 

「インドの最高裁は、野生生物保護団体による訴訟をもとに、森に住む200万人もの先住民を立ち退かせるべきだと判断しました。しかし、これまでの25年間広大な森林を破壊する計画に先住民が抗議したときには、誰も気にしませんでした。家を追われたのは同じ人々です。以前は進歩のため、今は自然保護のため、いつも同じ人々が犠牲になる」

 

森さんはこの主張を「最も印象的だった」とした上で、「問題意識はあったものの、正直そんなに切羽詰まった状況だとは知りませんでした。傍観者ではいられないと思いました。自身でももっと調べて、自分には何ができるのか、考えていきたいです」と真剣な面持ちで話した。

 

明確な意見はまだ見つけられていないようだが、世界で今起きていることを知る。そして、それらと向き合おうとする姿勢は、誰もが持っているものではない。今後、大学生活での発見やこれからの翻訳作業を通じて、きっと彼女自身の考えを育んでいくことだろう。

 

ところで、ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台になったのは、私たち中大生にもなじみ深い多摩ニュータウンらしい。作中では、多摩丘陵の開発事業によって、豊かな自然が奪われ、住処(すみか)を後にするタヌキたちの姿を見ることができる。こうして考えてみると、資本主義が推し進める土地開発の問題は、全くの他人事のようには思えない。森さんのように広く社会問題を意識することは、私たちの暮らしについて考える上で重要なことだと感じる。

現代における「翻訳家」の存在意義を考察

そうして広い視野を持とうと、世界の国々に目を向けるならば、翻訳は必要不可欠な作業だ。昨今は、IT技術が発達したことで、GoogleやDeepLといった翻訳ツールが登場し、日々その精度を上げている。しかし、AIには美学が研究対象とする「感性」が欠けている。この時代に、人の手で翻訳する意義はそこにあるのではないだろうか。

 

森さんがアルンダティ・ロイ氏、そしてインドで犠牲になっている人々、それから視聴者に思いを馳せながら言葉を訳したように、人間の心に寄り添った翻訳は、まさに人間によってのみ可能だと思う。取材を通して、現代における「翻訳家」の存在意義についても考えることができた。

 

体調が良くなり、旅に出かけるころ、森さんは「翻訳家」として人生を歩んでいるのか。それとも別の道に進んでいるのか、全くの未知である。彼女の未来の姿が見られるのを、チェコを流れるモルダウ川も待ち望んでいるに違いない。

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