2025.03.27
1年間の浪人生活を経て、さらには第1志望の大学に不合格となった末に中央大学に入学した。思い返せば、高校、浪人時代の私は人生への当事者意識が欠如していた。高校時代は成績の悪い現状から逃避し、のらりくらりと生活した。浪人し、予備校に入っても勉強には身が入らなかった。
しかし、大学入学に際し、この4年間で自分に向き合わなければ、これから先の人生を空虚に過ごすことになると危機感を覚えた。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるように、第1志望でなくても、中大の“雰囲気”には気に入るものがあったし、ここで精いっぱい頑張ってみようと決意して大学生活をスタートさせた。
私が大学生活でこれだけは頑張ろうと決意したことはゼミ活動だ。大学生の勉強といえばゼミが思い浮かんだし、同じ仲間と3年間勉強できるところに魅力を感じた。入ったのは経済学部の佐藤拓也先生のゼミ。ここに入った理由はテーマ設定が自由で、研究したいことが定まっていない私にとってはうってつけだったからだ。
ゼミでは班活動で論文を執筆して、討論大会やプレゼン大会に出場し、仲間とゴールに向かう楽しさや難しさを知った。たくさんの個性的な友人にも出会うことができ、取るに足らない話題で酒を酌み交わしたのも良い思い出だ。ゼミ長も務め、集団をまとめる難しさを知った。うまくいかないことも多かったが、必ず将来に役立つ経験を得たと確信している。
卒業要件ではない卒業論文も絶対に書こうと決めていた。4カ月間、コツコツと綴った野球と鉄道会社に関する論文は、佐藤先生に推薦をいただき、学部の優秀論文集に掲載されることになった。頑張ろうと決めた取り組みで最後に大きな結果を残すことができて、とてもうれしかった。
もう一つの思い出は、「HAKUMON Chuo」学生記者としての活動だ。コロナ禍で思い描いていた大学生活を送れていなかった1年生の私は、大学時代に何か形に残る活動を探していた。そんなときに学生記者募集の告知を見つけた。大の野球好きである私は、プロ野球ドラフト会議の取材ができるという触れ込みに誘われて応募した。そして3年間の学生記者の活動で、2度もドラフト1位指名の瞬間に立ち会えたことは、感無量の貴重な経験となった。
ひいきの中日ドラゴンズから中大選手の指名がなかったのは心残りだが、それは今後に期待することにしよう。ほかにも箱根駅伝やサッカーなど数多くの中大生を取材することができ、刺激を受けることが多かった。
取材を通してコミュニケーション能力が身についたり、記事執筆で文章力が鍛えられたりと、就活や社会人としての今後に役立つに違いない活動で、スキルを身につけながら、母校への誇りも育める素晴らしい経験だった。一歩を踏み出して活動して良かったと思う。
4年間でわずかながらも成長できたように感じているのは、間違いなく中大で学び、さまざまな活動に積極的に取り組んできたからこそだと確信している。中大には自分を成長させられる素晴らしい環境があった。後輩たちもこの環境をぜひ存分に活用して、自分が思い描く「何か」を実現させてほしいと思う。そして、ありがとう!中央大学!
〈中大ミニQ&A〉
「居心地の良い大学」
「先生のような格好いい大人に」
Q 中央大学ってどんな大学でしたか
近藤陽太さん キャンパスや学生の雰囲気が穏やかで居心地の良い大学でした。東京で肩肘張らずに過ごせる大学は少ないと思うので、上京してきた私にとって最高の環境でした。
Q 一番お世話になったと感じる人へのメッセージを教えてください
近藤さん ゼミの佐藤拓也先生(経済学部教授)です。先生のゼミで学び、たくさんの力をつけることができました。先生みたいに格好いい大人になれるように頑張ります。ありがとうございました!
Q ほかの卒業生にメッセージをお願いします
近藤さん 中大で関わってくれた全ての人に感謝しています。会う機会が少なくなってしまった人もいますが、皆さんお元気で、また会いましょう!
Q もう一度、中大1年生に戻れるとしたら、どんな活動をして、どんな4年間を過ごしたいですか
近藤さん 高校時代の部活動だったハンドボールをサークルで続けたいです。
Q 10年後の自分をどんなふうに想像していますか
近藤さん 家庭を持てていたらいいなと思います。あとは出世したいです!(笑)