受賞論文【優秀賞】「海からのメッセージ」

半澤 麻里奈

砂浜で綺麗な透明の石を拾うのに没頭したのが茅ヶ崎海岸との出合いである。それ以来、小学校、中学校時代をボディーボードや部活動などで茅ヶ崎の海岸と時を共にしてきた。高校生になった今でも、犬の散歩の場所として、日々海岸との関係は続いている。

気がつけば、海は私の日常と切っても切れない場所となり、出合いの時から13年が経過しようとしている。この間に起きた変化の一つが、砂浜が無くなりつつある事である。砂浜が侵食されているのである。中学時代に砂浜でバドミントンをした記憶が、夢ではないかと思えるほど砂浜が小さくなっているのである。砂浜のあることの意味、無くなった場合に生じるであろう問題の多くについては明らかではない。仮に砂浜が無くなったことにより波が土地を侵食することになれば、それには何らかの対応がなされ、時が経過すれば人々の意識の中には砂浜があった事さえ残ることはないであろう。私、個人としての砂浜は様々な好奇心を満たすと同時に心をリフレッシュさせる場であった事、現在もそうである事には変わりはないのだが、本当に無くなったらどうかと言われれば、あったほうがよいという程度のものでしかない。地球温暖化のために南極で雨が降り、そのためにペンギンの雛が死んでいる事や、海洋汚染のために陸に乗り上げるイルカが増えているのではといった事をニュース等で聞き、心が痛むのと大差ない問題である。しかし、環境とは何か、環境問題とは何かを考えようとする時、この最も身近な環境の変化は有意な示唆を与えてくれるのである。

湘南海岸での海岸侵食は、神奈川県藤沢土木事務所から得た資料によると西湘地区における過去26年間の海岸線の変化状況は、ほぼどの地区にも侵食の被害はみられ、唯一藤沢地区の藤沢海岸は浸食による大きな被害はみられず、やはり相模川の近くに位置している茅ヶ崎・平塚海岸での侵食はどの地区よりも深刻である。相模川の河口に近い茅ヶ崎海岸の柳島地区では、相模湾の中で最も侵食が著しく、昭和47年から63年の16年間で最大62mも砂浜が侵食されているのである。

湘南海岸の砂浜は、相模川上流の石などが流されてきたり、大半が砂丘地域だった茅ヶ崎や平塚の土地から雨などにより相模川に流れ込んだりしたものが、沿岸漂砂により海岸の左右に運ばれることによって、維持されてきた。

前者は、土流にダムが建設されたり、流れの途中で砂利が採取されたりする事により、その流れる量が減少し、後者は住宅その他の開発により砂の川への流入が遮断されることになった。川に供給される土砂の量そのものが大きく減少したのである。

さらに、漁港などの海岸設備の整備が進むことによって、沿岸漂砂が塞き止められている事などが考えられている。

湘南海岸を管理する神奈川県藤沢土木事務所はこの砂浜の減少に何の対応もしてこなかったわけではない。

主として二つの対応が行われている。一つは、波浪エネルギーを分散させ砂浜侵食の防止と砂浜の復元を図る事を目的とした構造物の設置である。茅ヶ崎海岸にあるヘッドランドはその一つで、昭和61年に工事が着手され平成3年に完成されたものである。このヘッドランドは海底に多量の石を置き2トンもの被覆石を積みかさねて先端にはテトラポットが設置されてあるものであり、縦230m横160mのT字をした構造物である。地元では「Tバー」と呼ばれ親しまれている。工事にあたっては湘南海岸としての風致観や自然環境を考慮して、本体に自然石を使用している。

二つめは、ダムにたまった砂を掘り、ダンプに乗せて侵食が進んでいる砂浜へ持っていくという養浜である。

前者は恒久的な対策にはなり得るものの、その構造物の近くにしか砂が溜らず、沿岸漂砂を止めてしまうというマイナス点がある。

後者は半永久的に対応を続けねばならず、抜本的な解決にはならないという問題がある。

土木事務所では、ヘッドランドのような構造物を多く作る事が最善の対応と考えているようだが、海に対して色々な立場の意見があり、これが対応を難しくしていると主張している。

同じことを、別な視点から見るとどうなるだろう。30年間、海に入り続けている地元茅ヶ崎のサーフショップの藤沢ジョージさんに茅ヶ崎の海や自然について聞いてみた。

茅ヶ崎海岸の砂浜の変化は明らかで、ペットボトル等のゴミで、砂浜を裸足で歩く事はできず、特に台風の後は酷いらしい。これには、ショップで組合を作り砂浜の掃除を行っているとのことである。また、侵食も著しく、25年前はソフトボールが出来たそうである。彼は侵食について「砂は深いところに行こうとし、一度侵食されれば二度と戻ってはこない。」と語り、かつそれについて「砂が食われる」と表現している。波乗りをする立場からは積極的には賛同できないが、沖にテトラポットを並べて波の力を弱めるのが現実的対応だとしている。どう対応しようが、抜本的には相模川の運ぶ砂が増えなければ解決しないとする点で、その相模川の運ぶ土砂の量が減少した理由について、ダムの建設や流域で河川が経済的利益の追求のために自然の回復力を超えて利用された事に因るものであるという点である。さらに、当面の対症療法的対応についてどうすべきかは、表現に差異はあるものの、行政の当局である藤沢土木事務所と地元の代表的なサーファーである藤沢さん、お互いの見解は一致している。

ここで重要なことは、藤沢土木事務所と藤沢さんの言葉の異なっている点にあるのではないだろうか。藤沢さんの「人間は自然を使わせてもらっている」や「海を良く知ることが大切だ」という言葉は環境を考えるには、その根底をなす思想が重要であることを示している。彼の言葉からは「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え」という松尾芭蕉の言葉が思い出される。そしてさらには芭蕉の「不易流行」といった言葉までもが思い浮かんでくるのである。海とは何か、砂浜とは誰のものなのかを、芭蕉の視点で考えてみることこそが必要なことではないだろうか。

人間は自然を利用することによって富を作り出した。そのことによって生活をより便利なものにしてきたのである。これを逆に戻して、自然な豊かであったときの生活水準にすることはもはや不可能である。その時々の色々な社会の状況によって現象されることは異なっているのである。そのなかで状況に流されずに不変であるもの、変化させてはならないものが何であるのか、これを人間が意識することこそが大切なのではないだろうか。

自然環境の変化に対して、それぞれの立場から、それぞれができるだけ環境を維持し、保全していこうと努力がなされている。その努力が結果に結びつくものであるかどうか、抜本的な対策となるかどうかに関係なく人間が自然環境を求める態度は基本的に誤ったものではない。本文における土木事務所の対応も、藤沢さんの考えも、それぞれ立場は異なっているが、誤ったものではない。

問題は、環境の維持や保全、あるいは昨今よく使われる自然ないしは環境にやさしいとはどういう意味を持つかについて、私たちそれぞれが明確な定義を持たないまま、それについて十分な吟味をすることなく、無定見にそれらを善と受けとめている点にあるのではないか。家の中では蚊やゴキブリを発見して、それを気にすることのない日本人がどれだけいるのであろうか。合衆国の空港のカフェでフローズンヨーグルトを注文した時、それは日本で注文し食べるものより多分に甘味の強いものであったが、メニューにはヘルシーと記されていた。ヘルシーの意味は、脂肪とコレステロールが少ないということであり、低カロリーを意味しないことはメニューをよく読んだ結果、明らかになったのだが。

人間は環境を守ろうとか、地球や生態系を守ろうというスローガンを無批判に受け入れやすく、この傾向は日本人に特に強いように思う。そして、人は、特に日本人は受け入れたスローガンに対して、短絡的に行動しがちである。

砂浜侵食にしても、その原因を冷静な目で見れば、人間が人間にとってよりよいと思われる行為をしたその結果に過ぎない。人間は自然に手を加えることで富を、便利さを、快適さを手にしてきたし、これからもそうしていくだろう。

失われた自然を、変わっていく自然を人間の力のみによって、その変化を止め、回復することは現時点において不可能である。

自然のみが人間にとって環境ではなく、自然を含めた人間をとりまく全てが環境であり、その環境を決定する最大の要因は、現在の時点にあっては市場原理に支配された、極度にグローバル化した人間の営為である。

砂浜侵食は、山奥の自然の豊かな場所に行かなくても、地球全体の温暖化などといった実感することの困難な環境の変化とは異なり、都市部に住む人々に環境の変化を具体的に感じさせてくれるものである。

これをめに、人類全体の営為について、その意味を一人一人が問いかけていくこと、それこそが大切なのだと言わなければならない。