受賞論文【地球環境レポート賞】(優秀賞)「水俣は終わらない」

上野 由理

五月一日、私の十八回目の誕生日。そしてこの日は五十年前、水俣病が公式確認された日でもある。「水俣市の漁村地区に原因不明の中枢神経疾患が多発している。」との届け出が、水俣保健所に出された。全ては、この時から始まった。そして、半世紀を経た今、水俣病はまだ終わりを迎えてはいない。

恥ずべき事だが、私は熊本に住んでいるにも関わらず、水俣病について、深く考える事がなかった。小学生の時、社会科見学で水俣を訪れ、その時、抱いた感情も、時の流れと共に忘れようとしていた。しかし、このままでは、いけない気がした。奇しくも、公式確認の三十二年後に生まれた自分。私の中で「何か」が生まれたような気がした。地元熊本にいて、無関心、無知であった自分。水俣病の悲劇は、一体どれ位の人が知りえているのだろう。水俣病の症状がありながら、未だ、水俣病と認定されない患者の方々に、私に何かできることはないのか。ただ、行動するためには、そこで何が起こったのかということを知らなければならない。そのためには、私自身が知らなければ、水俣病と、それに苦しむ人々のことを・・・。

まず、「水俣病」とは、水俣湾周辺の熊本県と鹿児島県で起こった公害のことである。原因は、メチル水銀という水銀の一種で、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程から出された、排液の中に含まれていた。そのメチル水銀が、魚貝類に蓄積され、その汚染されたものを人が食べ、メチル水銀は人体へ入ることになった。言うなれば、メチル水銀中毒である。一方、排水中の高濃度の水銀は水俣湾の底に大量のヘドロとして積み重なっていく。中には、ヘドロの厚さが四メートルに達する所もあったそうだ。魚貝類は死に、海草も育たなくなった。かつては、魚類の産卵場として、また、天然の豊かな漁礁として風光明媚な自然を誇っていた水俣の海は、一企業の営利行為によって、みるも無惨に「死の海」と化してしまったのだ。

このメチル水銀は、神経系の特定部位に強い障害を引き起こす。その結果、運動障害・言語障害・視野狭窄・感覚障害・聴力障害・頭痛などの症状が様々な組み合わせで現れるのだ。その上、「劇症」と呼ばれる重い症状の場合、短期間で死に至ることもあるという。更に、一度破壊された神経細胞を修復することは難しく、根本的な治療はないとされる。現在、水俣病認定患者は、二千二百六十五人。だが、その多くの方々は亡くなり、申請した九千人以上の人は、棄却されている。しかし、潜在患者を含めると、患者総数は、実に一万人を越えるのではないかとも言われている。

「百聞は一見に如かず」。悩むより、即行動と、私はゴールデンウィークを利用し、水俣に出かけることにした。水俣病情報センターや歴史考証舘、犠牲者慰霊式のあった水俣メモリアルなどたくさんの場所を回った。その中でも、最も衝撃的だったのは、回ったそれらの施設ではなく、明水園という重症心身児(者)施設である。この明水園は、水俣病認定者対応施設でもあるため、水俣病患者の方も多く入所されている。長い年月を経て、高齢化も進み、脳梗塞など加齢が引き起こす疾患によって亡くなる方も多い。そんな説明を受けた後、実際に、胎児性水俣病の方とお話しすることができた。あらかじめ、「あれも聞こう。これも聞こう。」と考え、意気込んで行ったものの、いざ、患者の方を目の前にすると、考えていたことが全て吹っ飛んでしまった。結局、何を言う事もできず、困り果ててしまった私に、逆に、たくさんの事を聞いて下さったのだ。私がそれまで思っていた患者の方は、立つことはおろか、動くことや話すことも十分にできない人たちだというイメージであった。不自然に曲がっている手足、いつ襲ってくるか分からない激しい痙攣。小学生のときに見た、写真のインパクトが強すぎたのだろう。私の中での水俣病患者像は、写真の中の人たちなのだという認識を持ってしまったのだ。水俣病の症状は、本当に幅広い。軽症であれば、頭痛や感覚障害のみで、普通に日常生活を送ることができる。話をしているうちに、自分が持っていた誤った先入観と偏見に気づき、とても恥ずかしくなった。劇症だけが水俣病ではないのだ。

帰り際、祖母と同じくらいの年齢だと思われるおばあさんに、水俣病の勉強のために明水園に来たことを伝えると、とても嬉しそうに微笑まれて、「ありがとう。」とおっしゃった。水俣病患者として、この世に生を受け、逃れられない呪縛に苦しめられながらも、精一杯生きておられる。本当に、私が、水俣病について学ぶことを喜びとしていらっしゃるのか。私は、内心とても複雑な気持ちだった。「ありがとう」という言葉を素直に受け取る自分と、「ありがとう」とは自分から口にすべき言葉であるのにと思う自分がいる。私はあくまで、教えを受ける立場であり、過去の教訓を学ばせて頂いているのだ。患者の方々が誰かに話をすることは、過去の辛い出来事を思い出し、どうしようもない気持ちが、また、頭をもたげるだろう。しかし、そういう思いをしても、後世に伝えていかなければならない、それが自分に課された定めなのだと思っていらっしゃるようである。

被害の甚大さ、悲惨さから「公害の原点」と言われる水俣病。熊本で公式確認された後も、被害拡大を防ぐ対策が取られなかった上、原因究明も進まず、九年後には新潟で同じ被害が繰り返された。世界でも、イギリスやカナダ、イラクなど水質汚染は広がっていく。

中でも、アマゾン川流域は広く知られている。この地域では、他の途上国の例に違わず、十歳位の子供が労働者として働いているという。砂金が採れるために、多くの人がこの仕事に従事している。砂金を採る際には、水銀を使う。水銀を混ぜると金がその中に溶け出し、砂を洗い流せば、金と水銀だけが残る。この金を含む水銀を焼き、蒸気にし、飛ばしてしまうと金だけが残るという寸法だ。この蒸気を吸った労働者が無機水銀中毒になり、吸われなかった水銀は、そのまま大気中に放出される。また、その水銀が川の中に入って有機化し、それを魚が食べ、金とは関係のない漁師たちが、更に、その魚を食べることで、水俣病が発病するのである。

この五十年間、水俣病は内外に問題を提起してきた。第二次世界大戦後、欧米諸国を中心とした先進国は、多くの化学工場で水銀を重宝してきた。そのため、水銀含有排水の垂れ流しは珍しくなかったのである。このことは、自国の経済発展のためなら、環境を考慮することはないという風潮が、世界中にあったことを如実に示している。

この環境を考慮しない経済発展の中で、一時期、水俣は忘れられたかのように見えた。しかし、妊婦の摂取した微量水銀の乳児への影響が国際的な研究対象に浮上したことをきっかけに、その後、国連環境計画が水銀など有害物質の削減を目指す行動計画を採択したこともあり、眠っていた「水俣」が大きくクローズアップされることになったのである。そして、各国の水銀報道には、必ずと言っていいほど、「水俣病」が付記されることになったのだ。

かつて、日本を含めた先進国は、大きな過ちを犯した。環境に配慮しない経済活動、利潤ばかりを追求したツケが、私たちに回ってくる。化石燃料の使用の増加に伴った大気汚染や酸性雨。有害物質含有排水の垂れ流しによる水や土壌汚染。その結果の温暖化や気候変動、内陸部の乾燥化など、地球への影響は数えきれないほどだ。

そして、再び、所を変え、同じ過ちが繰り返されようとしている。経済発展の著しい、中国やブラジルでは、もう既に水銀による健康被害が出始めている。中国で起こった水銀被害は、日本と同じように、アセトアルデヒド工場の排水によるものだ。また、中国の石炭火力発電所から出た大量の水銀などの大気汚染物質が、アメリカの沿岸部まで到達しているとの指摘もある。このことは、中国から排出される水銀による汚染が、地球規模で広がり始めていることを明示しているのだ。

ただ、そんな国々がある一方で、過去から学び、環境保全に立ち上がる国々も出ている。水俣病公式確認に合わせたように、水銀を「地球環境汚染物質」と位置づけ、工業製品から削減する動きが欧米で活発化している。

私たちは、日本という国に生まれ、世界でも類を見ない環境破壊と、公害事件を知っている。日本の一地域で起きた出来事が、半世紀以上もの時を経てもなお、色あせず、世界に警鐘を鳴らし続けている。世界中の何人とも経済的恩恵を受けてはならないということはない。しかし、残念ながら、経済成長には破壊はつきものである。だからこそ、人が環境に配慮した持続的な発展は、人類にとっても至上の課題なのである。新興大国が頭をもたげてきた今だからこそ、日本は過去の記憶をより多く、積極的に海外に配信すべきなのではないか。環境破壊とは、そもそも、長年育まれてきた自然環境を破壊し、生命を絶滅させるだけではない。そこに息づく風土、歴史、文化、全てを破壊していく行為なのである。私たちが築いた有形無形の、多くの尊いものを喪失させるのだ。これから起こりうる被害を未然に食い止め、環境と人類が共存する世界を構築することこそ、私たち人間に課された使命なのだろう。それは、取りも直さず、たくさんの苦渋をその身に背負ってきた、水俣の地とそこにすむ名もない人々のためであり、また、次世代に生きる私たちのためでもある。そう考えれば、水俣の教訓は永遠に生き続け、水俣も決して終わることはないのだ。