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法学部
【活動レポート】影山 凡子 (国際企業関係法学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(74) インドで国際インターン活動 NGO訪ね役割と問題点学ぶ

今回の国際インターンの目的

今回私は「やる気応援奨学金(短期海外研修部門)」をいただいて、ベトナムのハノイとインドのチェンナイを訪問させていただいた。この訪問の目的は、インド、ベトナム、日本という国家間の比較、NGO間の比較、アクター間での比較を通して外交の果たしている役割と国際協力について学ぶことである。ここでは特にインドのNGOでの活動を中心に報告をしたい。

インドの洗礼

到着したチェンナイの空港で早速私はインドの洗礼を受けた。ふと空港のトイレに入るとそのトイレの床で女性が眠っているのだ。しかもすやすやと。もちろん日本の成田空港のように清掃が行き届いている美しいトイレではない。薄暗く、床は水浸しのトイレである。日本にいる時の感覚でいけば、確実にそこは人が寝泊まりするような所ではないのである。ヘッセ先生は女性にとっては外で寝るよりも、屋根もあってしかも、女性しか入ってこない空間で寝泊まりする方が安全だからとおっしゃっていたが、到着早々衝撃を受けたのだった。

問題意識

今回のインターンシップでは3つの異なる特徴を持ったNGOと在チェンナイ日本総領事館を訪問し、現地大学生との交流も行った。
私はその中でも特にNGOの働きに興味があった。近年、国際社会においてNGOがアクターの1つとしてその存在感を高めている。記憶に新しいところでは、2010年8月にノルウェーを中心に有志国とNGOの協力を得てクラスター爆弾禁止条約が発効した。また国連の経済社会理事会と共同で動いているNGOも多く、国際会議にオブザーバーとして参加している国際NGOも多々ある。国家が主役の国際社会ではあるが、日に日にその発言力、存在感は増しているといえよう。NGOと聞くとプラスのイメージを持つ人が多いのではないだろうか。私も「正義に燃える奇麗な仕事」というイメージがある。NGOとはその名のとおり、政府から距離を置くことで国が救えなかった人々に対して支援を行う団体のことである。市場からも国家からも見放された人たちをNGOは支援するのである。国際協力に興味を持つ学生にとって、それはとても魅力的な仕事だ。戦闘状態が激化し、国連も追い出され、国際社会も介入出来ないような状態に陥った地域で、食べる物もろくになく泣き叫ぶ力もなくなってしまった子供たちを自らの生命も顧みず、必死になって助けようとするNGOの人たちの姿を見て、「この道に進みたい」と思う若者がたくさんいるのは当然である。私も御多分に漏れずそのうちの1人である。
しかしながらどこかでNGOの素晴らしい側面ばかりが強調されているような気がしていた。高尚な理念を掲げているからといって必ずしもその団体が健全な団体であるとは限らない。NGOが抱えている問題点とは何なのか。その限界とは何なのか。これが今回のインターンシップでの私の問題意識であった。

The Children's Garden School

私たちは最初にThe Children's Garden Schoolというチェンナイ市内のNGOを訪問した。ここは日本でいうところの保育園から高校までの教育機関で、一般家庭からは授業料を取り貧しい家庭には奨学金を与えることで、1人でも多くの子供が学校に通えるような授業料システムを採っている。給食や制服も支給される。またこの学校は「障害を持つ子もそうでない子も一緒に教育を受ける」というのが教育方針であり、ダウン症、学習障害、多動などの障害を持つ子供たちも健常の子供たちと同じ教室で学んでいた。
このNGOで私たちは9-10歳の子供たちが勉強するクラスで、折り紙と歌の授業をさせてもらった。恐らく彼らにとっては私たちが初めて見る日本人で、興味津々だったのだろう。教室に入るなり机から身を乗り出して"Hi!"の大合唱だった。The Children's Garden Schoolの教室初めての折り紙に彼らは皆目を輝かせて一生懸命に私たちの説明を聞いていた。折る度ごとに、生徒皆が「見てみて!」とアピールしてくる。"Good!""Excellent!""Awesome!"と褒めてあげた後の彼らのうれしそうな顔が今でも忘れられない。生徒たちは皆、元気で活発で(中には少しシャイな子もいたが)私たちの話す簡単な英語をしっかりと理解し、聞き分けも良かった。お行儀良く授業を受けており、教育が行き届いているなという印象であった。教えている先生方も大学を卒業した知的な女性ばかりであった。子供の教育には申し分のない環境であった。

Don Bosco Anbu Illam

Don Bosco Anbu Illamはストリートチルドレンの保護とその子供たちが社会に出るまでの支援を主として行っている。ストリートチルドレンの主な原因は、人身売買・児童虐待(男の子が被害に遭う場合も多々ある)・児童労働などである。そのような被害に遭った子は家出をするが、経済力がないために路上で暮らさざるを得なくなる。また、大人からひどい扱いを受けて育った子供たちは社会に適応するのが難しく、心に問題を抱えている子供も多い。Don Bosco Anbu Illamではそのような環境で育ってきたストリートチルドレンの保護を警察や地域の人々と協力しながら行っている。このNGOで保護した子供たちのうち約六五%が元の家庭に戻る。もちろん、身寄りのない子供たちの受け入れも行う。私たちはこのNGOに保護され、ある程度落ち着いた子供たちが暮らすシェルターを訪問した。
ここに暮らす子供たちも、私たちをはじけんばかりの笑顔で迎えてくれた。The Children's Garden Schoolの生徒たちと同様に元気であった。ただ環境は雲泥の差であった。まず日頃彼らが過ごしている宿舎であるが、衛生状態が良くない。大量のはえが至る所で飛び回っており、食事の皿もあっという間にはえだらけになる。服や勉強道具も全く足りていない様子であった。子供たちの様子もやはりThe Children's Garden Schoolの子供たちとは違う。折り紙も私たちの手からひったくっていくし、必要以上に折り紙をせがむ。まだ持っているでしょ、とたしなめると今度は折り紙をくれないことに腹を立て怒り出したり、すねたりしてしまう。ひっきりなしにけんかを始める。あげた折り紙にもすぐに飽きてしまってそこら辺に捨ててしまう。単に元気でやんちゃなだけなのかも知れない。しかしながら、育った家庭環境の違いを考えずにはいられなかった。また彼らの発育状態も気になった。どう見ても8歳か9歳くらいにしか見えないのに年齢を聞いてみると11歳、12歳であるというのだ。街の中だけではなくNGOの間にも存在する経済格差をまざまざと見せ付けられた。

Reaching the Unreached

その後私たちは、7時間寝台列車に揺られてタミルナド州郊外のReaching the Unreached(RTU)を訪問した。ここは商業都市として発展の進んだチェンナイとは異なり、時間がゆっくりと流れている農村であった。道路では車よりも牛が歩いている時の方が多く、バナナの葉を編んで造られているような家もあった。

RTUの子供たちと

このNGOは地域に密着したキリスト教系のコミュニティー型のNGOで、特に女性と子供の保護と自立支援を行っている。NGOの中には小さな村が幾つかあり、その中で保護された子供7-8人に対して女性1人が養母として本当の母親のように面倒を見て育てている。そのような環境で育った子供たちは、一定の年齢に達すると養母の元を離れて寮で暮らしながら、RTUが運営をする学校に通う。RTUに住む女性や子供たちは、皆過去のバックグラウンドを感じさせないくらい明るく、はつらつとしていた。一度養母と子供たちから成る各家庭にゲストとして招かれて、お手製のカレーをごちそうになり、その後インドの民族衣装であるサリーを着せていただいた。英語を全く理解出来ない方がほとんどであったが、女性たちは日本から来た私たちを自分の子供のように可愛がってくれた。
このNGOはほかにも職業訓練、給食配達、医療の提供、マイクロクレジット、井戸の掘削、織物工場の経営など極めて多岐にわたる分野の援助を行っている。地域社会へのサポートも積極的で、例えば近隣にあるインドの公立学校に対しては、設備が十分ではないことも多いので、理科の実験器具をワゴン車に積んで移動教室をしたり、また医療機関から遠く離れた村に住む人のために薬剤師と薬を積んだミニバンを派遣したりしていた。近隣住民の子供もRTUの運営する学校に通ったり、イベントに招かれたりしており、その地域に開かれたNGOであった。
RTUは、本来であれば政府が行うべきサービスであるインフラの整備から社会保障まで、幅広く手掛けており、私たちにNGOの力というものを見せ付けてくれた。現場のニーズにすぐに応え、かつ柔軟な対応が出来るのは、NGOならではの強みといえるだろう。

NGOの抱える問題点

カメラに集まってきたインドの子供たち

以上に述べたように3つの性質の異なるNGOを訪問し、その力強さと可能性を目の当たりにしてきたのだが、その中でNGOが抱える問題とその限界も垣間見ることが出来た。

財政の問題
まず共通していえるのが財政の問題である。今回訪問させていただいた3つのNGOのうち、The Children's Garden SchoolとRTUはDon Bosco Anbu Illamと比べて必要な財源は確保出来ているようだった。しかしながらそのほとんどは海外からの寄付金で成り立っており、RTUはその財源の99%が外国からの寄付だとおっしゃっていた。とても持続可能な財政状態であるとはいえないであろう。寄付金は景気変動のあおりを受けやすいし、寄付金額の減少が起こった場合、RTU内部の人々だけではなく、RTUから支援を受けているその周辺コミュニティーの人々の生活にも影響が及ぶ。自立した財源をどこまで確保出来るかが問題である。
もちろん、RTU自身もその問題は認識していて、住宅建設のための資材、コンクリートブロックや瓦などを地域住民を雇用して生産したり、外国向けに質の良い手作りの繊維製品や織布の生産・販売などを行っていたが、その収入だけではNGOが提供しているサービスコストすべてを賄うことは出来ない。
また寄付をどれだけ集められるかというのはそのNGOが持っているコネクションと大いに関係する。RTUの場合、現在のpresidentは創設者であるイギリス出身のキンプトン牧師で、50年近く南インドのマドライで支援活動を行っており、彼が持つイギリスとのパイプはRTUにとって欠かすことの出来ない財源である。彼は八五歳でまだまだばりばりの現役なのだが、presidentが交代した場合、今までの寄付を行ってくれていた人たちは引き続き援助してくれるのか、そもそも組織の運営をうまくまとめていけるのかなどの問題もある。

透明性の確保
2つ目の問題点として、組織の透明性の問題がある。NGOはその運営者の「善意」に頼っている部分がとても大きい。キリスト教のチャリティーの精神に密接にかかわるところだと思うが、NGOが常に善意に基づいた健全な団体であるとは限らない。政府と比べ明らかに外部からの監視の目が少ないNGOは腐敗しやすい体質ともいえる。
もちろん、NGOで活動を行っている多くの職員の方が崇高な理念と高い誇りを持ち、社会を少しでもより良いものとするために日々奮闘なさっているのは十分分かっている。しかし中にはNGOの持つクリーンなイメージを利用して本来のNGOの役割を逸脱しているような団体があるのも事実である。NGOに膨大な資金が流れ込み、社会的にもある程度の地位を得るようになってきた現代において、しっかりとした透明性のあるシステムを維持することが要求されている。NGOによっては理事会に外部理事を招いたり、年次総会を開いて会計報告を行うことで透明性を維持しているところもあるようだ。これから活動の幅を広げ、世論の後押しを受けるためにもこのような対策が必要だと思った。

発展の阻害?
南インドのNGOを訪問して感じたことは、日本であれば政府が提供している公共サービスをNGOが肩代わりしているということである。市場も政府も手の届かない分野だからこそNGOが強みを発揮出来るのだが、政府側には「NGOがやってくれるから」という甘えのようなものが少なからずあるのではないだろうか。NGOが援助の手を広げることが、逆に政府の社会保障に対する意識の低下を招いていることも否定出来ない。また人々も自らの力で貧困から脱出しようとする気持ちが起きにくくなる。貧困という現状を打開しようと悪戦苦闘しているNGOが、自分たちの活動によって人々の貧困状態を固定してしまうのである。NGOは目の前で困っている人のために、その人たちが本当に必要としていることを行うことが出来る。政府が行う経済援助と違い、実際に支援すべき人たちの顔を見ることが出来るし、その人たちの意見・ニーズを直に受け取ることが出来る。お金だけあげて終わり、というものではない。困っている人を助ける。NGOが日々行っている活動は本当にシンプルで、かつ情熱的で血の通った素晴らしい仕事なのだが、前述のとおりNGOも問題点を抱えている。
また今回の旅でガイドを務めてくださったランジーさんもおっしゃっていたことなのだが、NGOは目の前にいる人々を一時的に助けることは出来るかも知れないが、その人々が苦しめられているシステムを変える力は不十分であるといわざるを得ない。結局は根本原因を断ち切らないと問題は解決しない。その根本原因である社会のシステムを変える力があるのは政府であり政治の力である。しかし、現在のインドは社会保障よりも経済成長に主眼を置いている状態である。安定的な社会保障システムを作るためには政府側に十分な財源がなければならない。経済的な発展なしに国民の生活を保障していくことは難しいが、政府側も意識を変えていく必要がある。

インドの魅力

国際インターンシップのインドでのフィールドワークを通して、実に多くのことを考えさせられた。「発展」とはいったい何であろうか。「発展した街」と言われて思い浮かぶのは、整備された道路、よく手入れのされた歩道に洗練されたデザインのビルなど……まさに東京を思い浮かべる人も多いだろう。現に私もそうであるし、日本社会はそれを社会の「発展」だと考えてその達成に向けて今まで努力してきた。表参道や青山を歩いてその街並みを多くの人が奇麗だと思い、その街並みに魅了されている。日本中の若者があこがれているような都心の街は本当に「奇麗」だ。汚いものなんてほとんど見当たらない。汚いものや人々が忌み嫌うようなものすべてがまるで存在すらしなかったように奇麗に覆い隠されている。
だがインドは違う。何もかもがオープンだ。街にいるだけで人間の営みのすべてを見ることが出来る。東京の美しい街が隠しているものが、インドでは丸見えなのだ。そして常に街が人々の熱気に満ちあふれている。私がインドに魅了された理由もここにあるのかも知れない。どんなに経済が発展して道路が舗装されて奇麗になったとしても、あの街の活気とダイナミックさは消えてほしくない。この原稿を書くためにインドを思い出しているうちにまたインドが恋しくなってきた。

草のみどり 248号掲載(2011年8月号)

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