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法学部
【活動レポート】柚原 愛子 (国際企業関係法学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(9) フランス語学留学で夢を実現 将来見据え地道な勉強続ける

はじめに

昨年の夏、私は「やる気応援奨学金」の制度を利用して、フランスのトゥールという街へ4週間の語学研修に行ってきた。今回その活動報告ということで、フランスで過ごした1カ月とそこに至るまでの過程、そして現在を考えてみているのだが、どう頭の中をこねくり回してみても、残念なことに私からほかの留学体験記にうかがえるような将来有望な若者像を提供することは難しい。
ただ、海外の土産話程度には、私にもそれなりに事件は降り掛かってきたように思う。この地味ぃな私には、友人の海外土産話のようなドラマチックなどたばた劇はまさか起きるまいと思っていたのに、実に驚くべきことだ。このリポートでは、私のフランス留学にはせた思いと共に、私に降り掛かった事件のあれこれを記してみたい。知り合いの海外土産話を聞くように楽しんでいただければ幸いである。

もんもんとした2年を経て決心

フランスへの留学は、かねてから私の念願だった。フランス語は大学生活で力を注いだことの1つだ。第2外国語で学び始め、以来地味に勉強してきた。というのも、フランス語であれば大体が皆同じスタートラインなのに対し、これが英語になると、〝国際〟企業関係法学科の方々は既に流ちょうに英語を操られる。私は、といえば、悔しいかな、そうではなかった。
そこで私はスタートラインに差のある英語はひとまずわきにのけ(もちろんそれで良いわけはないのであるが)、フランス語により大きな情熱を傾けつつ、1年次から既にフランス留学への思いを温めていた。
もちろん、留学のチャンスは1年次から既にあったのだ。周りの友人たちも次々と留学していたし、私も長期の休みが近付くたびに留学パンフレットをたくさん仕入れては、留学を夢見た。しかし、いざ留学のための現実的な諸手続きを考える段になると、途端におっくうになり気持ちがなえてしまう。春夏4度の休みをもんもんとふいにして、気付けば大学生活も3年目に突入していた。
3年になると、これまでは嫌だ嫌だで済ませてきた将来のことへ真剣に目を向けなければならない。将来の決断を迫られ、焦りが募る。そんな折、私に追い打ちを掛けるように、友人が2人、大学を休学して長期留学に出ていった。就職するにせよ進学するにせよ、フランスとの関係を断ちたくないと考えていた私にとり、留学という形で実際にフランスに行くチャンスは、3年の夏休み、これが最後だった。状況に追い込まれ、私はこれまで重過ぎた腰を上げた。
それからの日々はあっという間だった。現実的で事務的な手続きのあれこれをおっくうがっている暇など、もう私にはなかった。パスポートを取得し、留学のカウンセリングに行き、語学学校とメールのやり取りをし、飛行機やホテルを手配した。慌ただしい日々に追い打ちを掛けるようにして、前期試験があり、課題のリポートを仕上げたのは出発の前々日だった。
そんなこんなで、初めての留学だったにもかかわらず、心の準備をする余裕など全くないまま、7月31日、出発の日がやってきた。3年越しのフランス留学が、拍子抜けするくらいあっけなく、始まった。

フランス上陸

成田をたち、香港を経由して、翌8月1日にフランス、シャルルドゴール空港に到着した。午前6時の空港は、ひどく閑散としてどの人の顔も疲れて見えた。フランスが見せた最初の姿は、私の思い描いていた〝華やかなフランス〟像とはまるで別物だった。この目の当たりにした現実に戸惑いを覚えながらも、どうにかこうにか列車の切符を買い学校のあるトゥールへ向かった。
トゥールは、フランス北西部、「フランスで最も奇麗なフランス語を話す地域」と呼ばれるロワール地方の1都市だ。ロワール地方はその風景美と恵まれた自然のために「フランスの庭」とも呼ばれ、この地方を流れるロワール川の中域には、観光の名所としても有名な中世の古城が点在する。そしてトゥールという街は、半日もあれば十分観光出来てしまうくらいの小さな街である。
そのトゥールの旧市街に、私の通った語学学校はある。1クラス最大7人の少人数制にひかれ、私はこの学校を選んだ。

トゥール4週間、穏やかな日常

語学学校最終日(後列右端がメラニー先生)

8月2日、語学学校初日、しょっぱなから道に迷って遅刻。クラス分けのテストは惨たんたる出来だった。翌日いよいよ授業開始。クラスメートは、高校生、大学院生、フリーターから医者、外交官の方々で、国籍は日本、韓国、イギリス、スイスにオーストリア、ポーランド、そしてアメリカ。彼らと大きな机を囲み顔を付き合わせながら、授業は進行した。いつもおしゃれでかわいいメラニー先生のおかげもあり、授業は4週間通して終始和やかな雰囲気だった。学校が終わると、学校で勉強をしたり、友達としゃべったり、ロワール川を散歩したりして過ごした。学校主催のチーズをたしなむ会にも参加し、気持ち悪くなるくらい色々なチーズを食べた。学校のない週末には、アメリカの大学に通っている友人とパリで再会を果たしたり、教会のオルガンコンサートに行ったり、隣町の遺跡に行ったりした。カフェで話し掛けてきた怪しげなおじさんが、実は占星術研究家で、将来を占ってもらったこともあった。
ともかく、トゥールでは、時間の流れ方自体がとても緩やかだった。それに夜の9時を過ぎても日が落ちない(人は、夜にすることがたくさんあるのに)。そしてその分、太陽の出る時間は長く、日本にいる時のようにせかせか歩いていては、とてもじゃないけれど時間があり余ってしまう。ここではゆっくり歩かなければいけないらしい。

マダムとの衝突と友人の存在

そんなトゥール滞在でのホームステイ先は、1人暮らしのマダムの家だった。彼女は既に現役を退いていたが、夜はよく家を空け、また見れば必ずといって良いほど、いつも電話で何事かまくし立てている、何かと忙しそうな人だった。
今となっては懐かしい思い出だが、滞在中は何かとマダムと衝突した。シャワーが長い、早起きし過ぎだなど。弁解、否認、私側の主張もある。初めのうちは私もおとなしくマダムに従っていたが、生活に慣れ出すと、2日に4度のペースでマダムとやり合った。しかし、私のつたないフランス語でマダムをやり込められるわけもない。

隣がステイメートのイサベル、中央がクローディア

うっぷんをためつつ、それでも4週間何とかマダムとやっていけたのは、ひとえにドイツ人のステイメートのイサベルの存在による。彼女は、私より年下であるのに、私よりもよほど大人で、いつだってマダムの言うことにおとなしく“oui,oui”と答えた後、私に向かってこっそり肩をすくめてみせた。
「マダムはエゴイストよ」と言うのがステイメートの口癖だった(ちなみに「私は優しいでしょ」と言うのはマダムの口癖。私は最後「あなたを優しいとは思えないわ」と言って帰ってきた)。毎晩バルコニーでたばこを吸いながら2人で色々な話をするのが、私たちの日課だった。彼女の存在が、あの家での生活を、マダムとのもんちゃくなど取るに足らぬといわしめるくらい楽しいものにしてくれた。トゥール最終日、私たちは再会を約し、抱き合って別れた。

かっとう抱え、パリへ

トゥールで過ごした初めの1週間は、環境に慣れるのに必死で、2週目からは不満が噴出、最後の2週間はあっという間に、そして、4週間が過ぎた。語学学校で出会った友人たちに見送られてトゥールを後にし、3日間のパリ観光に向かった。しかし、実際のところ、これから花の都パリだというのに、私の胸中は決して明るいものではなかった。
トゥールにも慣れてきた辺りから、私はある問題に直面していた。自分では、きちんと話しているつもりでいるのに、フランス語が通じなくなったのだ。
自分としては文法的に間違ったことを言っているつもりもなく、発音やイントネーションならほかの人に比べて極端に劣っているわけでもない(と思う)。なぜ通じないのか全く分からない。だから解決策も分からない。訳も分からず自分が否定されているようで、プライドはずたずたにされ、恐らくはフランス語を話すこと以外に事態の打開策は有り得ない。それは分かっていたが、フランス語を話すこと自体嫌で恐怖を覚えた。
この状態を引きずったまま迎えることになったパリ3日間だったから、お義理の観光地巡りだけしてホテルに閉じこもろうと、内心暗い心境でいた。こんな打ちひしがれた気持ちのままフランス留学を終えることを残念に思った。

思いを伝えるということ

さて、最寄り駅から徒歩5分と記載されていた所を、重いスーツケースを抱えて2時間歩き回り、やっとたどり着いたパリ滞在先のホテル。そこでちょっとしたトラブルがあった。
ホテルのオーナーが言うには、私が使うことになっていた部屋のシャワーが壊れた、だから1晩別のホテルに行ってもらいたい、場所はすぐ近くだ(実際はかなり距離がある。フランス人の距離感はおかしい)、星は1個上がるし、そのホテル代はもちろん自分が出す、明朝、朝食を取りにこっちに戻ってきてくれ、分かった?、と。日本人観光客が話す言葉は大抵が英語であって、私がつたないながらもフランス語で意思疎通を図ろうとすることが、オーナーにとっては喜ばしいことであったようだ。つまりはこういうことね、と自分の理解したところを彼に伝えると「君はフランス語がしゃべれるじゃないか、素晴らしい!」(そして、ハグ)。抱きしめられるのは余計だったが、相手の言うことが理解出来、そして自分の言いたいことも伝えられる、それはやはり素晴らしいことなのだ。
オーナーの書いてくれた大層アバウトな地図を頼りにその夜泊まるホテルへと向かいながら、私はフランス語でコミュニケーションが出来ることの喜びをしみじみと感じ、フランス語を話す恐怖感を少しだけ克服した。
かくして、ホテルに向かう私の足取りは、舞い上がらんばかりのものとなったが、しかし一抹の不安。彼が書いてくれた地図は、本当に、アバウトな代物だった。彼いわく、「公園を抜けた先にそのホテルはある。すごい奇麗な公園なんだ。君もきっと気に入るよ!」とのこと。オーナーの言っていた所要時間の何倍も掛かって、公園に出た。
しかし、この公園、出口も見えない広大な丘。上り坂にひぃひぃ言いながらも黙々と歩を進めている私に、降り注ぐ雨。重いスーツケース、異国で迷子、非情な雨。マダムに鍛えられた私も、ちょっと泣きたくなった。日本では道に迷っても、人に尋ねることなどめったにしなかった私が、この時ばかりはすがる思いで道を尋ね(おかげで帰国した現在、尋ね癖が付いた)、そして、奇跡的に(恐らく誇張ではない)ホテルにたどり着くことが出来た。
たどり着いたホテルの先でも、あのかっとうは何だったのかあっけに取られるほど、すらすらとフランス語の会話を楽しむことが出来た。こちらのオーナーはインド人で、インドのお菓子をもらい、ヨガやサリーの着方を教えてもらったうえ、お土産までもらった。翌朝には、「これは僕の気持ちだ」と朝食をごちそうになり、「あと2日もうちのホテルに泊まってけ」と誘いを受けたが、いささか身の危険を感じこれは丁重に辞退させていただいた。
当初のホテルに戻ると、「帰ってきてくれたね」とオーナーがハグで迎えてくれた。

あこがれの地で

その後2日は、晴れやかな気持ちでパリ観光に費やした。ずっとこの目で見たいと思っていた、ルーブル美術館のサモトラケのニケ像とも対面を果たせたし、ノートルダム寺院もすてきだった。サルトルとヴォーボワールの眠る墓の前では、神妙な気分になったし、カタコンベは期待を裏切らない面白さだった。
けれど、今も1番心に残るのは、フランス語で意思疎通が出来た時の喜びだ。突然通じなくなって、突然通じ出した。理由は皆目見当も付かないけれど、悩んだ時期があっただけに、言葉が通じることの素晴らしさは、今でも忘れられないし、恐らくこれからも忘れることはないだろう。
そして9月1日、成田空港。フランスでの1カ月を終え、生きて日本に帰ってきた。東京は相変わらず暑かったが、私は3年越しの割には小さな夢を1つかなえていた。

夢の国ではない異国

私はフランス留学を夢見ていた。フランスでの生活に、日本にはない非現実を求めていた。旅立つ前、「留学なんて、みんな現実逃避をしにきているのだから、きっと楽しいよ」と言った友達もいた。現実逃避。
けれど、実際にフランスで過ごした日々は、あまりにも現実だった。その場を日常とする人々、生身の人間との出会い、喜びも苦しみも現実的に私の中で生成される。逃避といって片付けられる要素など、どこにもなかった。
この留学での体験も踏まえ、自分を見詰め直した結果、現在、私は大学院への進学を考えている。そのため、1年生の時にわきにのけた英語が、私の中で緊急課題となってきた。恐らく今度はフランス語をひとまずわきにのけるべきなのだろう。それでも私は、耳に届けば体がぞくっとしてしまうくらい甘美と思うフランス語を、捨て切れない。今度はフランスの大学で現実的に学ぶべく、私は今も地味に勉強を続けている。

草のみどり 183号掲載(2005年2月号)

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