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法学部
【活動レポート】冨田 佑 (法律学科1年)

「やる気応援奨学金」リポート(37) ドイツでワークキャンプ体験 映像制作、歴史、英語を学ぶ

はじめに

私は、8月初旬から9月中旬にかけて「やる気応援奨学金(英語分野)」を頂いて、ドイツで約6週間、2つのワークキャンプに参加した。参加決定後は「英語分野で何をしに、ドイツに行く?」「ワークキャンプとは何なの?」と先生や友人から多くの質問を受けた。ワークキャンプとは、世界中から集まる若いボランティアたちが2-3週間一緒に暮らし、さまざまな活動に取り組むプロジェクトだ。その分野は、環境、文化、福祉、開発、教育、農業、平和など多岐にわたる。世界97カ国2700カ所で開催されている。今回私は、ドイツ北西のブレーメンで2週間、国際メディアキャンプに参加し、その後首都ベルリンにあるザクセンハウゼン収容所記念館で3週間、歴史学習キャンプに参加した。以下に、参加に至る動機、準備、活動、成果を記す。

語学留学?ワークキャンプ?

「海外に行きたい」
4月の新入生ガイダンスで、この奨学金の存在を知り、この夢を実行に移そうと、リソースセンターを訪れ、奨学金の説明を受けた。応募するために必要なのは「自分の将来の夢とそのために今やりたいこと」。
しかし、海外に行くなら語学留学、というイメージが強かった私は、将来の夢と語学留学との関連性が見いだせなかった。
語学留学以外での活動を探し、リソースセンターで、過去のやる気応援奨学生の方の報告書を読むと、インターンシップやボランティアがあることが分かった。インターネットや国際交流センターでインターンシップやボランティアを探したが、中には語学力や専門的な知識が必要とされるものが多い。語学力も低く、特に専門的な知識のない自分でも出来るものはないか。そこで、見付けたのがワークキャンプだった。ワークキャンプであれば、日常会話の英語力で良いうえ、専門的な知識も必要なく、参加に必要な資格は何もない。
日本のNGO「NICE」は、日本・アジアのワークキャンプを主催する一方で、日本以外の国で開催されるワークキャンプに日本からの参加者を派遣する。ワークキャンプは、開催される国のNGOが、海外のNGOから参加者を受け入れる。NICEは、世界中の2700個のワークキャンプをインターネット上や冊子で紹介しており、私はそこの中から選んだ。
「自分の夢は、国際的ジャーナリストになること。必要なのは、映像や文字を使う技術を身につけること。海外で技術を身につけるようなワークキャンプはないか」そう考え、ドイツのNGO「IJGD」が主催する国際メディアワークキャンプに参加を決めた。また法学部の導入演習で、ドイツにおけるホロコーストに関し少し学習したので、実際に歴史のつめあとをこの目で確かめたいと思い、ドイツのNGO「VJF」が主催するザクセンハウゼン収容所記念館での歴史学習キャンプへの参加も決めた。
2つのワークキャンプ中は、参加者と常に英語で会話するのに加え、歴史学習キャンプでは、英語での学習、議論、講演、エッセイ執筆などが予定されており、英語を使う機会が多い。そのため、自分の英語を成長させるのにも最適であった。
5月に入り、この計画を両親に話し、承諾を得ようとした。最初は、「海外に1人で行くことは賛成出来ない」と反対されたが、自分の夢と今やりたいことを話すと最後には理解してくれ、承諾してくれた。

日本で出来ること

奨学金の応募書類を記入する段階で、計画を詳細に決めておく必要があった。ワークキャンプは、現地集合・現地解散であり、日本から完全に1人旅である。そのために、航空券を予約したり、ユースホステルの部屋を予約したり、IJGD・VJFとメールで連絡をしてキャンプの詳細を聞いたり、鉄道やバスの時刻をインターネットで調べたり出来る限りの準備をした。
7月には、NICEのオリエンテーションに参加し、経験者からのアドバイスをもらい不安や心配の解消に努めた。その後、NICEの週末ワークキャンプにも参加し、青梅市日の出町にある「日の出太陽の家」という知的障害者の方が入所する施設と付属の宿泊施設に、1泊2日で滞在した。そこでは、私と同様に夏に海外のほかのワークキャンプに参加する日本人15人と、昼間は入所者の方と話したり、食事をしたり、遊んだりというワークをし、夜は料理や英会話の練習やゲームをすることで、本番のワークキャンプを想定した活動をした。
夏休みに入り、出発直前は、ほかの国からの参加者へのお土産としておはしや風鈴や折り紙を購入した。また、ほかの国からの参加者に日本の自然・地理・衣食住・文化・歴史・政治などの話が出来るように、『日本まるごと事典』(自然・地理・衣食住・文化・風俗から政治・経済・社会・産業・歴史など日本のあらゆる分野に関して、日本語と英語で書かれたイラスト入りの本)を購入し、読んだ。とりわけ歴史に関しては、キャンプで参加者の母国の歴史紹介が予定されていた。そこで日本人として伝えるべきことは、広島・長崎の原爆だと考え、広島を訪れ、原爆ドーム・平和資料館に行った。原爆の恐怖を自分が知り、人に伝えられるように自分に出来る準備をした。

甘いにおい

8月10日深夜1時、ベルリン郊外シェーネフェルト空港に到着した。前日の午前中に日本をたち、ロシアのモスクワを経由し、移動時間は20時間に及んだ。入国審査を終え、到着ロビーに出た。すると、パン屋が目に入った。パンが焼ける香ばしく、甘いにおいがする。ドイツには、空港や駅などどこに行ってもパン屋があると聞いていたので、ついに自分がドイツに来たことを感じた。
その後、宿泊予定のユースホステルまで移動する必要があった。しかし、飛行機が遅れ、空港からの電車や地下鉄は終わっていたので、ホステルまで歩くことになってしまった。ガイドブックの地図を見ながら、ベルリンの町を約1時間、20キロの荷物を背負い歩き続けた。異郷の地に来たという興奮からか時差ぼけか、恐怖や疲労を感じることなく無事にホステルに到着した。部屋に入ると、時刻は午前3時を過ぎていたので、荷物を整理し、眠りに就いた。
翌朝、寒さで8時に目が覚めた。夏といっても、ドイツは日本と違い、朝晩の冷え込みは厳しい。翌日がブレーメンに移動する日で、その日は予定がなかったので1人でベルリン観光に行くことにした。朝食後、ガイドブック片手にUバーン(地下鉄)へ乗り込み繁華街へ。近代都市ベルリンといっても、町中には教会、美術館、公園、大学など歴史的な建物は多い。ブランデンブルク門や国会議事堂やベルリン中央駅やカイザーヴィルヘルム教会と主要な名所を巡った。道中では、屋台のウインナソーセージを見付け、3ユーロ(約450円)と少々高かったが、ドイツに来てウインナソーセージを食べないわけにはいかないので、挑戦した。やはり、おいしかった。

一つ屋根の下

翌朝、10時にホステルを出、ベルリン中央駅に向かった。駅には、自動券売機が設置してあり、英語の表示もあるため、苦労することなく切符を購入。電車に乗ること2時間、15時にブレーメン中央駅に到着した。

6カ国10人のブレーメンワークキャンプメンバー

駅からキャンプが開催されるユースセンターへは、IJGDからの英文案内状を参考にした。中央駅から路面電車に乗り、5分ほど歩き、3階建ての民家に着いた。玄関に“welcome to work camp in Bremen!”と標識が出ていたので、恐らくユースセンターだと思い、ベルを押すと、中から女の子が出てきた。私は、名前と出身国を言った。すると、彼女は自己紹介をし、名前はカタリナで、出身はドイツのマグデブルグで、キャンプのリーダーだと言った。家の中には、6人が到着していた。まずは、名前と出身国など自己紹介から始めた。先ほどのキャンプリーダーも含めドイツからは3人、チェコから1人、アメリカから1人、スペインから1人であった。その後、最終的に、イタリアから2人とドイツから1人が加わり6カ国10人がそろった。既に7時を回っていたため、リーダーのカタリナが夕食を作ってくれ、みんなでテーブルを囲んだ。全員が初対面ということもあって食事中は終始沈黙状態で気まずい空気が流れていた。
夕食後は、ミーティングを行った。最初は、名前を覚えるゲームから始まり、次に、共同生活に関する話し合いをし、これから2週間、1つ屋根の下の生活における、食事や洗濯や掃除やシャワーの決まりや担当を決めた。ミーティング後は、ウノをしたり、レナが弾くギターに乗せてビートルズを歌ったりし、互いの国の話をすることで、昼間は会話もなかったが徐々に空気が和んでいった。12時を過ぎたので、寝室へと移動し、寝袋で就寝した。

積極性

翌朝からは、映画制作の作業が始まった。ユースセンターがスタジオや編集所を兼ねており、その日と翌日の2日間は、キャンプを主催するNGOから派遣されてきた女性職員から、カメラの撮影の仕方やコンピューターでの編集の仕方を学んだ。彼女は、ドイツ人だが大変英語が流ちょうだ。それは国籍にかかわらずほかの参加者も同じだ。一方で、私は日常会話程度しか出来ないため、彼女の説明がほとんど理解出来なかった。そこには、聞き返す勇気のない、受け身で臆病な自分がいた。
3日目に、実際に外で短い映画を撮影するも、私は役者をしたため、編集作業に携わることも出来ず、ただ完成したものをみんなと見るだけだった。演技が面白いと褒められたけれども、本来やりたいこととは違う。しかも、作業以外にも食事やミーティングや夜のゲームなど日常生活でもほかの参加者と積極的に話すことが出来ず、彼らが交流を深めお互いの距離を縮めていく中で、すべての面で後れを取ってしまった。この状況を打開するために、「何をすべきか」と考えた時、「開き直るしかない」と思った。
「英語が下手でも、話し掛ければ良い。冗談や行動でみんなを笑わせれば良い」
そう考え、行動すると、メンバーの中でムードメーカー的な立場になり、日常生活も、ワークでも積極的に話し掛け疑問を聞き、解消することで、すべてがうまくいくようになった。

インド料理のレストランで

映像制作は、2種類行った。1つは、トリックボックスという木で出来た大きな箱を利用してアニメーションやクレイ(粘土)ムービーを制作した。トリックボックスは、箱の上層部にカメラを取り付け、その下で粘土で作ったキャラクターを動かして、こまごとに撮影する。撮影が終わると撮った映像をコンピューターに取り込み、専用のソフトを使いBGMや字幕を入れて完成させた。参加者10人のうち3人でチームを作り毎日交代で撮影した。話の内容からキャラクターまですべて自分たちで考えなければなかったが、内容は全員で話し合って、粘土のキャラクターは女の子が作ってくれた。
もう一方では、実際にユースセンターから外に出て、三脚とカメラを用いて動画を撮影し、その後コンピューターに取り込み、windows movie makerというソフトウエアを使用して音響効果やBGMや字幕を入れて完成させた。話の大方の内容は、NGOの職員の方が決めてくれ、細かいところを自分たちで決め、役者も自分たちで演じた。まさか、英語で映画に出演するなんて思いもしなかったが、これも良い経験になったと思う。
毎日、昼間は作業を行ったが、夜はカードゲームをしたり、DVDを見たり、ストリートフェスティバルに出掛けたりして遊んで過ごした。週末はハンブルクに日帰り旅行をしたり、科学館へ行ったりした。充実した10日間は、瞬く間に過ぎ去った。
最後の夜には、みんなで制作した映画や写真をスクリーンで上映し、鑑賞した。見終わった後、自然と拍手が沸いた。確かに、作った映画は決して本格的なものではないが、自分もみんなも達成感を感じていた。こうして、最高の形で最後を締めくくることが出来た。

別れと出会い

最終日、別れが迫り、次々とメンバーが帰路に就いた。昼過ぎ、私も含め残った3人は、駅に行きホームで別れることに。私が最も遅い電車であるため、2人を見送った。最後の言葉を交わした瞬間、涙がついこぼれてしまった。2週間生活を共にした2人と別れるのは、悲しかった。

ザクセンハウゼン収容所記念館

次のキャンプ地ベルリンへ電車で移動し、その晩は市内のホステルで過ごした。翌日、郊外のオラニエンブルクに電車で移動し、バスを乗り継ぎ、「ハウス・シピロスキ」へ向かった。「ハウス・シピロスキ」は、ザクセンハウゼン収容所記念館に隣接する研修センターだ。かつては、ナチスの上官の家であったが、今では改装され宿泊施設やキッチンやインターネットも備えられた合宿所となっている。
初日は、メンバーとの顔合わせやミーティングを行い、交流を深めた。今回は、メンバーが15人でとても多く、出身国もカナダ、メキシコ、イギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、チェコ、アルメニア、ポーランド、トルコ、ロシア、日本と国際色が豊かだった。前回のキャンプで、初対面の人々とコミュニケーションを取るのは慣れていたので、メンバーとすぐに打ち解けることが出来た。英語も、数週間前に比べればだいぶ上達していた。

歴史のつめあと

ザクセンハウゼン収容所には、第2次世界大戦下、ナチスに抵抗する人々や捕虜やユダヤ人などが収容され、10万もの命が失われた。第2次世界大戦後は、ソ連が占領し、ドイツ国内の主に政治犯などが収容され、1万人が亡くなった。現在は、ポーランドのアウシュビッツ収容所のように、原形をとどめつつも、資料館や展示が加えられ、記念館として多くの人々が訪れる場所となっている。収容者が入っていたバラックや処刑に使われた射殺場やガス室跡は残され、忌わしい過去は、現在でも消えることがない。
今回のワークキャンプでは、その記念館を中心に、歴史学習を行った。ホロコーストに関して図書館での調査とエッセイの執筆とプレゼンテーション、歴史と差別に関する話し合い、ヴァンゼー会議記念館やベルリンの壁などほかの歴史博物館への訪問、ユダヤ人元捕囚者の方の講演を体験した。キャンプ中は、記念館の館長と解説員が私たちをサポートしてくれた。
ホロコーストに関する調査では、最初の1週間目に記念館を見学し興味を持ったトピックに関して、2週間目に図書館の本やインターネットで調べ、エッセイを執筆し、最終日のそのトピックに関し、10分のプレゼンテーションをした。私は、ザクセンハウゼン収容所の第2次世界大戦後のソ連が使用していた時の様子を調べた。Soviet Special Camp No.7/No.1in Sachsenhausen(ザクセンハウゼン収容所記念館のソ連使用時の展示に関して英語とドイツ語で書かれた本)を読み、その中で収容所内での飢餓や病気や死の様子や、収容されていた人の解放の様子に関してまとめてエッセイを書いた。最終日に、そのエッセイを基に発表した。本を読み、エッセイを書き、発表をするのは当然英語であったため、とても苦労した。しかし、その分自分の英語力は成長したと思うし、イギリス出身の女の子に最終日に「発音がうまくなったね」と褒められた時はうれしかった。

ユダヤ人元捕囚者の方の講演

歴史と差別の話し合いでは、私は広島・長崎の原爆や特攻隊の話をし、メキシコ人からは「パールハーバーをどう思うか。」と聞かれ、返答に困りつつも、個人的な見解を述べたりした。また、差別に関しては、カナダのケベック州出身のチャールズからはケベックが抱える独立や差別問題、ロシアのモスクワ出身のユダヤ人のマーシャからはシオニズム問題について聞いた。そういう話を聞くと、世界中には差別問題が残っていることを感じた。また、歴史に関しては、ポーランド出身のマイケルからは第2次世界大戦下におけるポーランド国内の状況やアルメニア出身のザーシャからはジェノサイドの話を聞いたりした。今まで、ジェノサイドという言葉の意味さえ知らなかった自分は、歴史知識のなさに反省させられた。
ザクセンハウゼン収容所記念館以外には、ヴァンゼー会議記念館というユダヤ人最終撲滅計画が決定された会議が行われ、今では記念館となっている所や、チェックポイント・チャーリーというベルリンの壁に関する博物館や、ユダヤ博物館を参加者と共に訪れた。ザクセンハウゼン収容所記念館の館長が常に同行し解説をしてくれたり、各博物館において解説員が展示に関する説明をしてくれたりした。そのため、ただホロコーストだけなく、ドイツの第2次世界大戦下での歴史や東西ドイツ分断時の歴史に関しても勉強することが出来た。
ユダヤ人元捕囚者の方の講演では、戦時下のドイツや収容所での悲惨な様子や経験の話を聞いた。その方は、現在84歳で、記念館で開かれる式典や、毎年キャンプで講演を行っている。今回の講演は、私たち参加者のために開かれたものであった。講演は、英語で行われたが、残念ながら自分のリスニング力が乏しく半分ほどしか聞き取れなかった。
しかし、講演の最後にその方が、「今なお一部では、ユダヤ人に対する差別や偏見は残っている。それ以外にも、世界各地ではさまざまな差別問題が起こり、宗教や民族間での紛争はやむことがない。自分の経験を若い世代に伝えることで、君たちが将来世界に平和を築いてくれると願っている」とおっしゃった言葉は、印象に残った。歴史学習以外では、3週間の中で3日間は、記念館の敷地内にある記念碑や屋外展示の周囲に生えた雑草を取る作業もした。天気に恵まれ、参加者15人が力を合わせて行ったため予定より早く終了することが出来た。

一期一会

ワークキャンプでは、作業だけをするだけでなく、交替で買い物に行き自炊をし、分担して洗濯や掃除をする。それまで全く違った文化・環境で暮らしてきた若者が、1つの場所に集まって生活を共にする。四六時中行動を共にするから、時には価値観の衝突も起こった。私は、中学・高校と6年間寮生活をしていたが、食事や洗濯など生活のすべてを他人と共にするのは初めてだった。それに、言語が違うということだけで意思を伝えるのに苦労し、言いたいことが言えないがためにお互いが気まずくなることもあった。しかし、わだかまりが解ければ仲良くなったし、ワークキャンプの最終日にはまるでみんなと家族のように打ち解けた。
また、お互いの国の外交や政治や文化や宗教や環境問題など国際的な話題もあれば、将来の夢や家族の問題や恋愛など個人的な話題までさまざま話をした。時には、日本に関して話すことで、逆に自分が日本を改めて知ることが出来、勉強不足も痛感した。
彼ら全員とドイツの同じ場所で会うことはない。しかし、再会を誓った彼らとは、それぞれの国、また日本で違う形でまた会う日が来るに違いない。

最後に

今回の奨学金に応募するに際し、今後法学部で学びたいことから将来の仕事まで真剣に考えた。自分の計画の3つの目的(映像制作技術習得、歴史学習、英語学習)を通して、私の今の勉強と未来の夢に関連性を持たせることが出来た。この奨学金を得るまでの過程で、知らぬ間にキャリアデザインという大切なことを学んだと思う。
実際に、2つのワークキャンプを体験して、反省点も生まれた。例えば、ワークキャンプで学んだといっても2-3週間で出来ることは限られていること。実際、国際メディアキャンプに参加しても、映像制作の技術を完全に身につけたわけでもないし、初歩的なことを学んだに過ぎなかった。歴史学習でも、私はホロコーストの専門家のような深い知識を身につけたわけではない。逆に、ユダヤ人の歴史など自分の無知を痛感した。これからはもっと映像制作を勉強しなければならないし、歴史の知識も身につけなければならないと思った。
そして、何よりも自分の英語力の低さを感じた。もう少し英会話が出来れば、歴史学習でもっと議論に加わることが出来ただろうし、講演も良く理解出来たに違いない。ほかの国からの参加者は英語がとても上手であった。将来、国際的な舞台で活躍するには彼らのように英語がうまくなければならない。今後、もっと英語を勉強しなければならないと思った。
今回、計画を立て、実行し、報告する、この一連の過程を経て、このような反省点も生まれた。また、一方で自信や達成感も得ることが出来た。この反省と達成感を次の勉強にどう生かすかが重要だと思う。
最後に、キャンプで出会い、私を温かく受け入れてくれた海外の友人と、当初は反対しながらも、私の計画に理解を示してくれた両親、そして何よりも三枝先生を始め、私を応援してくれたこの奨学金に関係するすべての方々に感謝したい。 本当にありがとうございました。

草のみどり 211号掲載(2007年12月号)

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