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法学部
【活動レポート】山本 紗知 (法律学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(54) ドイツへ語学短期留学で成果 教科書で見る歴史教育も学ぶ

はじめに

2009年3月1日、関西空港を出発し、ソウルの仁川、ドイツのフランクフルトを経由して約20時間。駅で降りて1人、夜の10時を回った大通りは人通りも少なく、重いスーツケースを引きながらやっとたどり着いたドレスデンのホテルの一室で、私は小さなテレビをぼんやり眺めていた。語学力よりも何よりも、1カ月間何事もなく無事に過ごせるのだろうかという漠然とした不安を抱え、地図と日程表を見比べることくらいしか出来ないでいた。1カ月後には、友達との別れが寂しくて、日本になんか帰りたくないと泣いているというのに。
私は、「やる気応援奨学金」を頂いて、3月1日から31日までの1カ月間、ドイツに滞在した。初めの3週間はドレスデン工科大学の付属機関で語学研修を行い、週末にはライプチヒやチェコのプラハといった近郊の都市を旅行したり、研究活動のためにホームステイをしたりと、慌ただしい毎日を過ごした。そしてドレスデンを後にし、更に研究活動として、ベルリン、ブラウンシュヴァイクを回った後、フランクフルトから帰国したのである。1カ月間という短い期間ということを考慮し、幅広い興味の中からかなり的を絞った研究テーマを設定した。私の研究テーマは「教科書から見るドイツの歴史教育」であるが、これには教育、文化、歴史、政治といった、多くの興味深い要素が含まれている。これらをどのような切り口で自分の身近な話題へと引き寄せて考えられるのか、そして更に自分のドイツ語能力はどの程度かを冷静に評価した上で、最終的にこのテーマにたどり着いたのである。

研究テーマに沿って

まず初めに、日本とは全く異なるドイツの教育制度から簡単に説明しておきたい。ドイツ連邦共和国は州の「文化高権」により、州ごとに文部省や指導要領がある。そのため、教科書を審査したり、認可したりするのが、各州の文部省またはその委託を受けた機関や委員会であり、我が国と比較してその独自性は顕著である。このような特性に注目し、小テーマとして、①ザクセン州選定教科書の独自性②ナチ・ホロコーストの歴史記述――について調べることとした。
そこで訪ねたのがGeorg Eckert Institute(GEI)である。GEIはブラウンシュヴァイクにある公的な研究施設で、世界各国の教育に関する研究者が集まるシンポジウムにも使われている。併設された巨大な図書館には、最新の論文だけでなく、1945年以降にドイツ国内で採用されたすべての教科書が保管されているということで、現在の教科書研究という観点だけでなく教育の歴史という点からも、研究活動には最適だと考えたのだ。

GEIの様子

教科書は各州・各出版会社・対象学年ごとに、その量は膨大な数である。そこで私は、旧東ドイツ(DDR)の歴史に興味があったことと、主な滞在地がドレスデンであったことから、研究の対象をザクセン州選定のもので、かつ2000年以降に出版された教科書に絞ることにした。また自分の語学力からして、第10-11学年(日本における高校1-2年生)対象のものを中心に調べた。
①のザクセン州選定教科書の独自性に関しては、私は初め、教科書だけからその州の独自性を見いだそうとしていた。しかし日本の場合もそうだが、例えば歴史の授業では必ずといって良いほど補助資料、例えば資料集や小冊子を利用する。実際GEIに行ってみると、教科書だけでなく州選定の資料集もすべてそろっていたため、それらも参考にすることにした。私が特に関心を持っていたのは、1945年2月13日-14日に起こったドレスデン大空襲についての記述である。『ドレスデン・運命の日』(原題Dresden)(ドイツ・2006)という映画の題材にもなっており、ドレスデンの町が一夜にして徹底的に破壊された後、美しく復興されるまでの経過は世界中で注目された。教科書では、実際、写真やグラフを使いながら、さまざまな問題提起がなされており、また、テーマも人的・物的被害だけでなく、大戦を挟んでザクセンの産業・経済・文化が受けた影響について詳細に述べられている。私にとって印象的だったのは、歴史の中でも何より近代史に重点を置いていることだった。DDR時代の壁の構造、東西の若者文化の対比、そして米国テロなどまで、時代・テーマなどさまざまな切り口から生徒の関心を引く工夫がよく分かった。
②のナチ・ホロコーストの歴史記述に関しては、DDR時代の教科書に主に注目した。自国の罪をどのように公的に認知していたかに興味があったからである。年代により思想の変化はあるが、『ファシズムの蛮行』として量・質共に予想した以上に適切なとらえ方、表現の仕方をしているように思った一方で、戦後史についていえば、DDRのたどってきた歴史を仰々しく1冊につづったような形になっており、少し不自然な印象を持った。
3カ月も前にメールでアポイントメントをお願いした際、GEIは快諾してくださった。専門家でもない、日本から来た一学生である私のために、貴重なお時間を割いて資料集めに手を貸してくださったSchattenbergさんには、大変感謝している。

実際の教育現場

以上に加え、平山先生の御厚意により今回私は実際の学校現場を訪問し、更に学生と一緒に授業を受けるという大変貴重な経験をすることが出来た。というのは先生と親しいvon Below夫妻がグリンマ(rimma)という町で著名な方であるため、その方の仲介で学校を紹介していただくことが出来たからだ。私はデーベン(Doeben)にある夫妻のお宅に2泊させていただき、町の探訪や町の人たちとの交流、そして夫妻の旧知の間柄であるIyiaagan-Bohseさんとの素晴らしい出会いをすることが出来た。デーベンでの滞在については後述の「ドイツ・日本間の交流」で、彼女との出会いについては後述の「歴史認識」で詳しく述べさせていただく。私が訪問したのはグリンマにあるGymnasium St.Augustinという学校である。創立が1550年というこの学校には、至る所にその長い歴史が刻まれていた。学校とは思えない、まるでお城のようなその校舎の一室は博物館のようになっており、現在でも毎年研究者が文献を求めて世界中から訪れてくる、と副校長のSoell先生が話してくださった。学校の雰囲気は古さ故の暗さが全くなく、廊下が生徒の創造した美術作品で埋められているのが大変印象的である。教会のように天井の高い音楽室からは賛美歌が聴こえ、私はしばらくそれに聴き入った。
3限から第10学年で化学、同じクラスで英語、第11学年で美術、そして学食での昼食を挟んで学校全体を案内していただいた。仲良くなったある男子生徒は、小さな町であるため、あまり学校選択の余地はないけれど、このすてきな学校に通えることに誇りを持っている、と言っていた。本当にすてきな学校である。彼は、将来Abiturを受けて、大学進学を志望しているという。慌ただしい訪問を快く受け入れてくださった校長先生、副校長先生にも大変感謝している。

ドイツ・日本間の交流

von Below夫妻のお宅があるデーベンは、実は日本とは特別な関係を持つ町である。森鴎外の小説『文づかい』の舞台となった『デウベン城』のあった場所であり、登場する『ビュロオ伯』の子孫がこの夫妻なのだ。

Iyiaagan-Bohseさんと

東西分断時代、元貴族階級の迫害のため土地を奪われ西ドイツに逃れることを余儀なくされた夫妻は、統一後に土地を買い戻し、DDR政府によって廃虚とされた城跡を少しずつ復興しておられるが、現在に至るまで大変つらい体験を多くなされたという。近年、敷地内にパビリオンを建設し、森鴎外を契機にしたドイツ・日本間の交流にも大変熱心に取り組んでおられる。毎年多くの人が世界中から訪れるそうだが、滞在までさせていただいたのは私が初めてということだ。von Below家は熱心なプロテスタントで、私がデーベンをたつ日の朝には毎週恒例という教会でのお祈りにも連れていっていただいた。博学な氏の話はどれも興味深く、さまざまな経験を経ておられると共に、非常に見識のある方だと尊敬している。滞在中大変親切にしていただき、さりげない心遣いがとてもありがたかった。

歴史認識

研究テーマに関連するというだけではなく、歴史に対する純粋な興味から出来るだけ多くの博物館を訪れようと考えていた。本来の予定では、ベルリンのユダヤ博物館、壁博物館、チェック・ポイント・チャーリー・ハウス、ユダヤ人犠牲者記念館の四カ所を考えていただけだったが、思い掛けずIyiaagan-Bohseさんと出会うことが出来、DDR体制下の犠牲者といえる彼女の話を直接伺うという経験が出来たことに感謝している。彼女はDDR時代からの元教師だが、特別な境遇から反体制のマイノリティーとして迫害を受けた経験を持つ。彼女は年齢に似合わずパワフルで、ライプチヒの町を自転車で案内してくれた。英語とドイツ語を駆使して、出来る限りのことを伝えようとしてくださった彼女は、とても温かくて心の広い女性であった。そして彼女の口から直接聞く話は、私のドイツに対する印象を大きく変えた。私にとってその影響は決してポジティブなものではなく、その失望や恐れから自分の研究に対する疑念さえ感じるほどに、DDRの現実というのは私にとって精神的なショックであった。ライプチヒにあるMuseum in der “Runden Ecke”を彼女と一緒に訪れた。これは日本のガイドブックにはあまり載っていない、手作りのような小ぢんまりした博物館だが、Stasi(DDR秘密警察)Museumとして当時のさまざまな遺物の展示を含め、監視室の再現や犠牲になった人に関する資料は、文字通り身の毛もよだつものであった。ドイツ各地に広がっていった統一に向けての運動は、ライプチヒがその発端であるといわれている。その時代に生き、それを実際に見てきた彼女の話を聞けたことは、私にとって幸運であった。

語学学校と日々の生活

私がドイツでの大部分を過ごしたドレスデンは、ザクセン州の州都であり、ドイツの東側、チェコとの国境に近い所に位置する都市である。ツヴィンガー宮殿やオペラ座といった古典的で華やかなイメージを有すると共に、戦時中に受けた大空襲の傷跡も残す都市であるため、文献で見るだけでは感じられない戦争の歴史を探索したいと考えていた。クラスのみんなと先生と私は以前ドイツの教育に関する文献を読んだ際、統一後20年近くたった現在でも、東西ドイツの隔たりは教育現場にさえも影響を与えていること知り、信じられなかった。それをきっかけに「旧東ドイツ」に大変関心を持ち、ここを選んだのだ。ドレスデン工科大学付属の語学学校は、1年に2回、世界中からドイツ語を学ぶ生徒を受け入れている。ドイツ語の授業だけでなく、余暇の時間に小旅行やオペラ鑑賞などを通してドレスデンの芸術や文化にも触れる機会を積極的に提供しているということであったが、郊外にあるビール工場や歴史博物館へのエクスカーション、それからサルサ講座や映画鑑賞会など、実際至れり尽くせりであった。
授業は筆記試験によって分けられたレベルごとに行われ、教科書を基にしたディスカッションが中心であった。そのテーマは、変化する家族形態や教育制度について、あるいは効果的な宣伝広告や自由とは何かなど、さまざまであった。私のクラスにはロシア・ポーランド・フランス・イタリア・メキシコ・日本とさまざまな国の出身の生徒が集まっており、お国柄やちょっとした文化の相違もよく分かって大変興味深いものであった。幸運にもとてもすてきな先生と心の広い仲間に助けられ、居心地良く快適な学習環境であったことに感謝している。

今振り返って

充実したこの1カ月であったが、振り返ってみると冒頭に述べたような不安を始めとし、数えきれないほどの失敗、悩み、それから後悔もあった。もともと「どこか抜けている」と言われ続けてきた私だが、何度自分の至らなさを嘆いたことだろう。初日とサマータイム移行日に時計を1時間合わせ間違えて1人で混乱していたことや、デーベンに向けて朝四時に起きたは良いが途中の駅で寝ていたこと、それからお店の人に冷たく笑われてひっそり泣いたことなど、今では笑い話にもなるような出来事は切りがない。自分のことや日本のことを理解してもらいたいのに、語学力はもちろん、前提となる適応能力さえ十分に持ち合わせていないことには何度も落ち込んだ。日本ではきっと味わうことのないそんな惨めさの中で、温かい友達に支えられて気付いたのは、すべては人間とのかかわり合いに尽きるのではないかということだ。

少しおめかしして。ゼンパーオーパーにて

ドイツに滞在している間に痛感したことは、良くも悪くも私たち日本人の「日本人らしさ」であった。授業やさまざまな課外活動においても、そして日常生活においても、なぜ日本人は日本人だけの集団で群れるのだろうか。外国人の友達はみんな口をそろえて、日本人は親切でおとなしいと言うが、そう見えるのは日本人の多くが単独で外国人の中に入ると途端におとなしく口を閉ざし、ただほほえむだけになりがちだからだろう。私は高校時代にニュージーランドで短期留学をした際、日本人グループの中にとどまって大変後悔した。その経験が頭にあり、私は意図的に日本人から遠ざかるように過ごした。これは良い態度とはいえないかも知れないし、最初は言葉の壁や文化の違いからつらくもあったが、私にはそれで良かったと思っている。どんなに言葉がうまく伝えられなくても、そんなことでその人を排除しようとする人たちなどいないのだ。みんな純粋に興味を持ち、互いに理解し合おうとしている。その単純な発見で私は前向きになれたし、楽しみも広がった。

最後に

帰国して2カ月がたった今、少しずつではあるが将来の目標が明確化しつつある。日本の法律について学ぶと共に、将来はドイツで更に研究を続けたい。そのために必要なことの1つとして語学力を養うためにも、今回収集した資料を読みあさり、語学学校に通うことに加え、新しいコミュニケーションツールを活用することの重要性にも気付くようになった。skypeを使った友達とのテレビ電話や、Facebook上でのチャットやコメントのやりとりなどが、今は楽しみの1つである。帰国してからドイツ語の勉強方法も変わり、何よりもドイツ語に自然と触れていられることがうれしいと感じられる。「やる気応援奨学金」の制度で得たのは、語学や学習にとどまらない、すべてに対するモチベーションと可能性であった。このような素晴らしい機会を与えていただいたこと、支えてくださった諸先生方、そして両親に大変感謝している。

草のみどり 228号掲載(2009年8月号)

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