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法学部
【活動レポート】早川 有紀 (政治学科3年)

「やる気応援奨学金」リポート(16) 米のニューオーリンズに留学 英語と共に都市の在り方学ぶ

はじめに

「……!」
8月29日にアメリカ南部を直撃した超大型ハリケーン「カトリーナ」の被害の様子を伝えるニュースに、私は言葉を失ってしまった。
その映像は、南部最大の都市であるルイジアナ州ニューオーリンズだった。浸水する家々、助けを求める声、避難所でぐったりする人々が映し出され、被害の大きさが伝えられていく。私が半年前に「やる気応援奨学金」で留学していたニューオーリンズと同じ場所とは思えないほど、変わり果てていた。
私は今年の2月に1カ月間、「やる気応援奨学金」でアメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズへ留学する機会を頂いた。
「ニューオーリンズといえばジャズ」と多くの人が連想する。確かにこの都市には、その想像通りの音楽や食文化が豊かな「明」の側面がある。しかし一方でハリケーンのニュースでも報じられたように、人種間格差と貧困が存在するという「暗」の側面も併せ持っている。
そこで、ニューオーリンズで学んできたことを中心に、私の留学を紹介したいと思う。
「将来は国際舞台でも活躍出来るような公務員として、日本社会に貢献したい。そのために学生の間にさまざまな経験を積み、視野を広げたい」将来に対するそのような強い思いから、私はこの「やる気応援奨学金」に応募した。

留学までの道

私がこの「やる気応援奨学金」の存在を知ったのは、1年生の時だった。視野を広げるためにも、1度留学してみたいと思っていたため、その年の「やる気応援奨学金」後期の部に応募しようとしていた。しかし、締め切り直前になって計画書を作成し、あえなく書類審査で不合格となった。
この不合格によって、留学するための基礎英語能力不足を感じた私は、2年時に英語でプレゼンテーションをするゼミや環境問題を話し合う英会話の授業を取り、少しずつ英語の勉強を始めた。英語でのコミュニケーションの難しさや楽しさを実感し、モチベーションも上がった。
一方で、自治体における政策形成に興味を持っていたため、2年生の秋から新宿区議会議員の下でのインターンシップを経験した。多文化化の過渡期にある、大都市東京の1部を見たことで、海外の都市での多文化化や、単一民族国家ではない多民族国家の国では人々がどのように共生しているのかということに興味を持つようになった。「英語と都市」と学びたいことがはっきりした私は、再び「やる気応援奨学金」に応募した。「何度落ちても応募して良い」というところがこの制度の長所の1つで、私は先生方の貴重なアドバイスの下で自分の「やる気」を示した結果、留学のチャンスを手にした。

いざ、ニューオーリンズへ

ジャズが発祥した地として有名なニューオーリンズはアメリカ南部、ミシシッピ川の河口に位置する。冬でも温暖な気候のため、半そでで過ごせる日があるほどだ。また、フランス領、スペイン領を経ているためアメリカの中でも個性的で、音楽、建築、食などあらゆる面から見ても文化的で国際色豊かな都市であるといえる。
この都市での私の留学目的は大きく分けて3つあった。1つ目は英語学習、2つ目はボランティア活動を通してアメリカの都市問題の1つである、インナーシティー問題を学ぶこと、3つ目はロースクールでの授業聴講だ。私にとってさまざまな意味で最も印象深かった2つ目を中心に紹介していきたい。
インナーシティー問題とは、先進国の大都市で起きているもので、中産階級が良好な住環境を求めて郊外へ移転する一方で、少数民族や低所得者層などの社会的弱者が都心部に取り残されてしまう問題をいう。この人々の移動によって、都心では人口や企業の減少による財政状況の悪化が発生し、治安の悪化、緑の減少など住環境にも更なる悪影響を及ぼす。
ニューオーリンズは、アメリカのほかの都市に比べても中心部及びその周辺部における貧困層の割合が高い。所得の層によって分かれて「住み分け」をする傾向は世界のどの都市にも見られ、当たり前の現象であると考える人もいる。しかし私は、19世紀の奴隷貿易の影響を受けて、今もなお46万の人口の3分の2が黒人であるニューオーリンズで、低所得者層が暮らす地域の様子を実際に見て、解決策を考えたいという思いがあった。

大学周辺の様子

私は市の中心部から少し離れた住宅街に位置する、テュレーン大学の語学学校に通いながら授業を聴講し、寮に滞在した。留学生活は日々、失敗と苦労の連続だったが、周りとはすぐに打ち解けられた。授業に付いていくのが大変だった私を気遣ってくれる、優しいクラスメートにも恵まれた。また韓国人ルームメートのヤンスとも仲良くなり、本当に充実していた。

フランス建築が残る中心部にはジャズが流れる

テュレーン大学の医学部と法学部のレベルと授業料は特に高く、「南部のハーバード」とも呼ばれている。周辺はどの家も目を見張るほどの大邸宅で、所得の高い層が集中している。
大学周辺の道の両側にはオークツリーという大きな木が植えられていて、その中央をゆっくり路面電車が走っていく。私はこの風景がとても好きだった。近くには大きな公園もあり、緑が多いキャンパスを歩いていると、リラックスした気持ちになった。
大学周辺にいる限り、この都市が人種間格差や貧困層を抱えている町であるとはとても思えなかった。

マルディグラで感じた「住み分け」

私が現地に到着した週から、市内では「マルディグラ」というお祭りが始まっていた。日本人にはなじみがないが、これはリオのカーニバルなどと並んで世界3大祭りの1つに数える人もいるほど有名なお祭りだ。
このお祭りの期間中、多くの観光客が訪れる。今年は1月の終わりころからパレードが行われ、2月8日のマルディグラ当日に向けて街全体で盛り上がっていた。
ニューオーリンズで迎えた初めての週末、私はルームメートのヤンスとパレードを見るために都市中心部に向かうバスに乗った。その時初めて、車窓から貧困層地域の町並みを見た。そこには大学のある高級住宅街とは全く違う風景があった。「これが本当にアメリカなのか」と目を疑ってしまうほど、所々窓ガラスの割れた、古く薄暗いアパートや平屋住宅が並び、黒人の子供たちがたむろしている。
所得の高い層は一家に数台の車を持つため、バスに乗るのは車を持てない、所得が低い人々だ。バスのルートは必然的に低所得者層が多く住む地域を通るものとなる。周辺に中心地に向かうための鉄道はなく、路面電車は高級住宅街を走るので、低所得者層はバスしか交通手段を持たない。
「留学生は特に、夜の9時を回ったら絶対にバスに乗ってはいけない」と大学側から注意されていたが、人々が「分かれて住んでいる」とはこういうことなのだと初めて感じ取った。
その後、私たちは中心部でのパレードを楽しんだ。パレードの華であるフロート(山車)はどれも巨大で、見ごたえがあった。
ただ1つ、気になったことがあった。それはパレードを楽しむ沿道の観客の様子だ。場所によって白人が集中している場所と黒人が集中している場所があり、彼らは分かれてパレードを見ていたことに気付いた。だれもが参加出来る、地域が1つになれるはずの祭りでさえ「住み分け」があるというショックをヤンスとも話しながら寮に帰った。

ボランティア活動

私は初め、大学内の学生ボランティア団体で低所得者層居住地域の子供たちの遊びリーダーになるという活動に参加する予定だった。しかし、学校側に参加する旨を伝えると、留学生が1人で参加することに対して、安全が確保出来ないからやめるように言われた。低所得者層居住地域は土地勘のない外国人に対する犯罪も多く、ボランティアは危険だということだった。
せっかく計画したものを断念しなければならないということに落ち込んだが、代わりに別のボランティア活動を紹介してくれた。これは、大学内の最も大きなボランティア活動の1つで、週末を利用して先生や学生たちが一緒に公立学校の施設整備をするというもの(Rally for New Orleans Public Schools)だ。
向かった学校は、黒人が多く住む地域にある中学校だった。学校内の設備は整っているとはいえず、学校全体は薄暗かった。私はほかの大学生に交ざって、ひたすらペンキを塗っていた。公立学校は予算が少ないため、こうしてボランティアが活動することで、学校運営を助けている。ペンキの色が明るかったため、塗った後は心なしか校内が明るくなっていたことがうれしかった。

マルディグラのパレードの様子

ボランティアを終えた帰り道、私はテュレーン大学の学生や教師がほぼ白人であることについて考えていた。ニューオーリンズの人口の3分の2は黒人のはずなのに、州立大学でさえその割合は半分にも満たないらしい。私は教育における「住み分け」を目にし、この問題が持つ複雑さを改めて感じた。
教育制度に対して行政はどのような対策を講じているのか気に掛かり、日本に帰ってから「チャータースクール制度(認可を得た団体が運営する、新しいスタイルの地域と結び付いた公立学校制度)」について調べたが、この制度がインナーシティー問題を必ずしも解決するものであるとはいい切れないと思った。
それはこの問題に多くの社会条件が複雑に絡み合っており、1つの政策で解決出来るものではないからだ。しかし、私が参加した公立学校への大学のボランティア活動は、公立学校を地域コミュニティーがサポートしていく1つの形だといえる。こうした地道な活動が続けられることで、生徒や教師、保護者、更に地域の意識が少しずつ変化していくことが大切なことだと思う。

では、解決策は?

ボランティア活動を終えても、私は都市の交通や教育、人々の職業や態度の様子から「住み分け」を感じた。アメリカのほかの都市に行ったことがないため、比較することは出来ない。しかし、南部は相対的に教育や所得のレベルが低く、貧困層の割合が全米平均の2倍であるという現状は、構造的弱者に対して複合的な政策を講じていく必要があることを示している。それぞれの層が交わりを持たず、都市の中で別々に生きていく姿は本来あるべき姿だとは思えない。
多民族が共に生きていくことはそう簡単なものではない。その解決は1つの対処では到底なしえない。また、短期滞在をした私には住民の心の奥底までは分からなかった。
ただ、「心の壁を取り払うこと」は必要なのではないかと思う。私は市内で「目に見えない壁」を何度となく感じたが、それは社会の制度のみならず人の意識から生まれる壁なのではないかと思うからだ。この都市の歴史は深いため、社会制度を変えることのみでこの壁を取り払うには長い時間を要するだろう。
この都市を変えるには何か大きな切っ掛けが必要なのではないか。そう感じていた矢先に、ニューオーリンズを大災害が襲った。

ハリケーンの被害後

ハリケーンでは地盤の弱い場所に低所得者層が住んでいたことや、車を持たない人の逃げ遅れによって被害が拡大した。その後現地で起きた略奪、無法地帯化、差別なども報じられた。ニューオーリンズの持つ「暗」の側面がそのまま表に出た形となった。
状況を放置していた行政の責任は重い。アメリカ史上最大級の惨事への政府対応の遅れに対し、厳しく責任追及がなされている。

しかし、私が1つ注目している動きはアメリカ国内でニューオーリンズの人種間格差の問題が取り上げられていることだ。このような大きな災害が起きてから、議論になること自体がとても皮肉だが、これからの復興に向けて何らかの変化につながるかも知れないという期待を持って見守っている。復興には長い歳月を要するといわれているが、私はこの都市が1日も早く、暮らしやすい都市として再生されることを願わずにはいられない。

そして今

この留学でアメリカの抱える社会構造的問題の複雑さを自分の目で見て、さまざまな背景を持つ人々が暮らしていく社会はどうあるべきなのか、を考えるようになった。そのことで、自分自身が理想とする公務員像も、明確化してきたように思う。
また、留学から半年がたった今年の夏、私は新宿区で「多文化共生」にかかわるインターンシップをした。日本でも、多文化共生社会が既に身近な場所まで来ている。「ほかを認め合い、共に生きていく社会を築くにはどうしたらいいのか」、その答えはまだ出ていないが、これからも考えていきたい。
そして今、大学3年生の秋という大切な時期にいる。私は数限りなくある進路の中から公務員を選び、その試験勉強を始めた。進路に1つの絶対的な正解はない。これから先も出合うであろうさまざまな選択の場面で、私は常に不安に付きまとわれるだろう。しかし、1つの選択肢を取ったからには、悔いの残らないように頑張りたい。
「やる気応援奨学金」を応募した時に語った夢を実現させるためには、勉強量も英語力も全く足りないことはもちろん自覚している。だからこそこれからも努力し、学び続けられる大人になりたいと思う。
最後になりましたが、御指導くださった先生方を始めとする皆様、本当にありがとうございました。貴重な経験をさせていただけたことを心から感謝しています。

草のみどり 190号掲載(2005年10月号)

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