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法学部
【活動レポート】高橋 平歩 (2004年度 国際企業関係法学科卒)

「やる気応援奨学金」リポート(12) メキシコでスペイン語学ぶ(上) 中南米に通用する水準目指す

メキシコの家族

2004年2月14日、とうとう1年前から少しずつ計画してきたメキシコ留学が始まろうとしていることに興奮が抑えられず予定より早い時間に起きてしまった。今回の活動の目的は中米、南米に通用するスペイン語を身につけ、日本との関係が注目されている国メキシコを言語、文化、食事、娯楽すべての面で体感することだ。
成田空港に着きロビーで待っていると小学校低学年くらいの外国人の子が話し掛けてきた。日本語が達者でその子はペルー人であることが分かり、「ちょっとスペイン語で話してみて」とその子に頼むと、話してくれたがはっきりいって何も聞き取れなかった。これくらい出来ないと僕も開き直れるものだ。ゼロからのスタート。僕は成田を後にした。
成田からアトランタまで14時間、アトランタからメキシコシティーまで4時間、まる1日掛けて2月14日夜9時にメキシコシティー国際空港に降り立った。空港から出るとタクシーの客引きが成田で会ったペルー人の子とは比べ物にならないほど速いスペイン語で話し掛けてきたが立ち止まらずに、何とかそこから学校があるクエルナバカという町に行くバスに乗ることが出来た。
バスの窓から見えるメキシコシティーの町は暗く、壁は落書きだらけで何か日本では感じることが出来ないハングリーなにおいを感じた。1時間半バスに揺られ無事クエルナバカに到着した。ここからはタクシーを拾うようにと言われていたので自分のホームステイ先の住所を見せてタクシーに乗り込み、家に着くとこんな遅い時間なのに僕のメキシコの母マリアとその息子のホルヘが外で待っていてくれた。

メキシコのタクシーはメーター制ではなく、目的地まで幾らで行ってくれるか乗る前に交渉する制度なので何も言わなかった僕は20ペソ(1ペソおよそ10円)で来られるところを倍の40ペソ取られてしまった。やられたという思いより何とかホームステイ先に無事に着けたことが何よりも安心出来た。
2人に部屋に連れていってもらうと自分が今まで持っていたメキシコの部屋のイメージと懸け離れた部屋が僕を待っていた。ダブルベッド、優に5人は座れるソファ、大きなテーブル、もちろんシャワー、トイレも部屋にあり、僕の実家の部屋より広く、快適な部屋で拍子抜けしてしまった。その日は旅の疲れもあり何もしないまま快適なベッドで眠ってしまった。
2月15日、目を覚ますとほんの2日前には日本にいた自分がはるか遠くに位置する中米の大国メキシコにいることがとても不思議だった。窓を開けると冬の日本では久しく見ていなかった夏の日差しが差し込み、暖かい風が部屋に吹き込んできた。ドアを開けて部屋を出ると、到着した時は夜で見えなかったクエルナバカの町並みが部屋のある3階から一望出来た。

メキシコ独特のカラフルに塗られた家々、1Kmくらい離れた所に見える町の中心部に建つコロニアル建築をほうふつとさせる大聖堂、そしてもっと遠くに見えるメキシコの太陽を気持ち良さそうに浴びている山々、自分の目に映る広大な風景でまずメキシコを感じることが出来た。時間が止まっているかのようにゆっくり流れ、何か土のにおいを感じた。
メキシコの家族と初めて対面して彼らがメキシコ人っぽい顔をしていないのに驚いた。後で聞いた話によると、先祖をたどるとフランス人やスペイン人もいると聞いて納得した。この家にはメキシコの母マリア、息子のホルヘ、マリアの兄、兄の妻、2人の子供たち4人が住んでいる。今回の滞在を振り返ると偶然学校が選んでくれた家族だったが本当にあの家族と巡り会えたことが幸せで、家族との楽しい思い出しか今は思い返すことが出来ない。

マリアはいつも温かい目で見守ってくれ、ホルヘは毎日学校が終わると「サッカーしよう」と言って部屋に飛び込んできた。マリアの兄夫婦も僕に本当の息子のように接してくれ、近所の人にも僕を紹介する時私たちの息子ですと紹介してくれて本当にうれしかった。彼らの子供たちも年が近いせいもあり学校が終わるとサッカーをしたり試合を見にいったりして、彼らといると笑いが絶えなかった。
僕の今回の滞在の一番大きな財産はメキシコに自分の父、母そして兄弟が出来たことだ。

スペイン語

2月16日、スペイン語学校の授業が開始した。会話能力ゼロの僕は1番下の初級1というクラスから始めることになった。1番最初から始められるというのは気分的にもとても気持ちの良いことだ。授業は朝の8時から始まり、1コマ50分の授業が5つあり、前半3つは文法で後半2つは会話となっている。授業はもちろんスペイン語で行われ一切の外国語が学校内での使用が禁止されている。
教室は6人もいればいっぱいになってしまうような小教室が幾つかあり、生徒たちの希望によっては毎日奇麗に手入れされている緑と花いっぱいの庭に幾つかある木の葉っぱや皮で作られたパラパと呼ばれる手作りのパラソルみたいなものの下で授業をすることが出来、青空の下、心地良い風を受けながらの授業は最高である。
最初の2週間はスペイン語で進められていく授業に慣れることに必死であっという間に過ぎていった。毎日学校での授業や友達、家族との会話で出てくる新出単語や新しい表現に追われながらも、学校の授業で出てくる単語・表現ノート、家族と会話する時、外出する時は必ず持っている会話ノートは取りこぼしのないように整理するようにした。
本当に良い意味でスペイン語漬けの日々が続き、不思議なことに夢に出てくる人たちが日本人であれ外国人であれ皆スペイン語で話しているのである。

1カ月もたつころには家族にある程度伝えたいことを伝えられるようになり、自分が少しずつ成長している喜びを感じつつも、生きたスペイン語を話すために最も大切な発音の練習がおろそかになっていることに気付いた。そこで、授業に少し余裕が出てきた分、先生がどのように発音しているかを注意して聞き、話している口を見るようにし、先生、そして家族も僕の発音が少しでも間違っているようなら正確な発音が出来るまで直してくれた。
2カ月、3カ月もたったころには、自分の中からスムーズにフレーズが出てくるようになり、会話で困ることはほとんどなくなった。しかし自分の悪い癖で速く奇麗なスペイン語を話すことにとらわれ過ぎ、例えば会話中に定冠詞を抜かしてしまって話していたり、友達に対して話す話し方、目上の方に話す話し方が区別し切れていなかったりと細かい間違いが浮き彫りになっていたので、発音、リズム、文法3つにアンテナを張るようにした。
学校の授業も日を追うごとに新出単語だらけの新聞記事を読んだり、先生や生徒の前でプレゼンテーションを行い、質問にその場で自分なりの答えを出して答えるなど高度なものになっていった。気付いてみると初級1で数の数え方、あいさつなどから始めた自分が7月に初級1 2 3、中級1 2 3、上級1 2と学校のすべての授業を終えることが出来、晴れて卒業することになった。

毎日新しいことを5カ月間詰め込んだ頭はパンク寸前で、ここから今まで覚えてきたものすべてを復習し、頭の中にある膨大な文法、単語、表現が会話で難なく使えるようになるために頭の中を整理し始めた。学校が終わってからは、毎日友達、家族とする会話、テレビで聞こえてくる会話、町で見掛ける看板、目に入るもの、耳から入るものすべてが自分の新しい教材だと思いながら、会話を中心にして勉強を続けた。
その後2カ月半メキシコ、グアテマラ、ホンジュラスと旅を続ける中でもスペイン語を話し続け、旅から帰ってきて帰国までの2カ月間は、良い意味で肩の力を抜きながら今までやってきたことの総まとめと、先生に個人的に教えていただいたりしながら、スペイン語を楽しみながら勉強することが出来た。

メキシコの生活

僕が住んでいた町はクエルナバカというメキシコシティーの南にある町で、常春の町といわれているだけあり昼間は気温が少し上がるが夜は涼しくなり、メキシコの人たちはどの家も冷房や暖房がない。毎日気持ち良いくらい晴れの天気が続き、日本では見ることが出来ない奇麗な色をした花が咲いていて、自分の学校にたくさん咲いていたブーゲンビリアの花を教室の窓越しに見ているのが大好きだった。
よくおいしそうな実をつけたみかんの木から落ちた実を食べていた。庭にあるやしの木が気持ち良さそうに暖かい風を受けながら揺れていた。遠くから聞こえる大聖堂の鐘の音が心地良かった。町を歩いていると見知らぬ人が私に笑い掛けてくれたりあいさつしてくれたりして、すぐ立ち話が始まったり友達になってしまう。
こんな毎日は僕にメキシコ的なゆっくりした時間の過ごし方を教えてくれ、自分と見詰め合えるたくさんの時間を許してくれた。

メキシコ人

メキシコの人はというと本当に友好的な人ばかりでアミーゴ(友達)という関係をとても大切にする。全く見知らぬ人でも話し掛けてくる時は僕のことをアミーゴと呼んでくれ、一たびアミーゴという関係を築くと彼らは国籍なんか関係なく家に招待してくれたり、自分の友達を紹介してくれたり、アミーゴに対して出来る限りを尽くしてくれる。このようにほかの国から来た人たちを無条件に迎えてくれる親しみ安さがメキシコ人の1番の特徴ではないかと思う。

メキシコの照り付ける太陽のような陽気さもメキシコ人の特徴の1つだ。だれもがフィエスタと呼ばれるパーティーが大好きで、何かあるたびに家に家族や友達を呼んではサルサ、マンボ、トロピカルなど体が勝手に動いてしまいそうなリズムが気持ち良い音楽を大きな音で掛け、子供からお年寄りまで夜な夜な踊り続け、メキシコ原産の竜舌らんの葉から作られるテキーラやコロナビールが更に彼らを陽気に楽しくさせる。
仕事をしている人たちも良い意味であまり仕事に自分が支配されないように肩の力を抜きながら仕事をしていて、自分の仕事と同じくらい、いやそれ以上に自分が家族や友達と楽しめるこのような時間を大切にしている。彼らを見ていると人生を惜しみなく楽しく生きていて、仕事と趣味、娯楽が生活の中にうまく共存しているように思われる。

メキシコ料理

メキシコ人の主食はとうもろこしから作られるインドのナンを薄くしたトルティージャというもので、フリホール豆をペースト状にした豆料理も主食の1つであり、そして何といってもチレと呼ばれるからしがほとんどの料理に含まれていて、一般的に辛い料理が多い。彼らから言わせるとこのチレの口が焼けそうな辛さがたまらないそうだ。
僕は学校に通っている間はホームステイ先で御飯を食べさせていただいたので、たくさんのメキシコ料理を堪能することが出来た。中でも印象に残っている料理は数種のチレと木の実を引いたものにラード、チョコレートを加えた甘くて辛いモレというものや、トルティージャにとり肉を挟んでチレロッハ(赤いからしソース)やチレベルデ(緑のからしソース)を掛けるエンチラーダというものである。
道で売られているタコスも僕の大好物の1つである。豚肉を鉄の棒に何層も何層も重ねたものに火を通しそれを切り、パイナップル、たまねぎそして香草と一緒に巻いたタコスアルパストールを見るとついつい何個も買っていた。
料理方法、味、材料、食べ方そして食事を過ごしている楽しい一時にその国の食文化が詰まっていると感じることが出来た。

サッカー

僕のメキシコ生活を語るうえで欠かすことが出来ないのはサッカーである。幼稚園のころからサッカーをやっていた僕は、テレビで見る中米、南米の国の選手のサッカーに魅了され、いつしかサッカーが生活の一部になっている中米、南米の国でサッカーをやることが夢になっていた。
メキシコに着いた次の日、早速自分が住んでいる家の前でサッカーをやっている同じ年くらいの人たちがいたので、まだスペイン語が全く話せない僕はサッカーボールを持っていくとその人たちからサッカーやろうよと声を掛けてくれた。その日から自分が思い描いていたサッカー生活が始まった。
いつしかサッカーを通してたくさんの友達が出来、サッカーを通してスペイン語が成長していった。気付いてみるとたくさんのチームから声を掛けていただくことが出来、4チームに在籍していたので、学校に行って、帰って宿題、予習をして夜はサッカーの試合に行くという毎日になっていた。
今でもメキシコで初めて公式のフットサル(ミニサッカー)の試合に出た時のことを覚えている。グラウンドに入ると試合前に「中国人、韓国人、日本人かよく分からないけどサッカー出来るの」と周りの人から言われ、日本人だってサッカー出来ることを見せてやるぞという強い気持ちを持って試合に出た結果、3点取ることが出来て試合後たくさんの人に温かい声を掛けていただき、試合に出してもらって結果を出せたことがとてもうれしかったのを覚えている。

その後大会で優勝することが出来、賞品としてチームのメンバー全員にユニフォームが授与され、みんなで着て喜び合ったのは本当に良い思い出である。
メキシコにいる間も旅をしている間もサッカーが僕に友達を作るチャンスを与えてくれ、スペイン語を話す環境も与えてくれ、チームでプレーをすることによりたくさんのサッカー仲間を作ることが出来た。メキシコには僕が小さいころから夢を見ていた世界が広がっていた。ストリートで太陽が照り付ける中、みんなでサッカーボールを追い掛け、子供からお年寄りまでサッカーに熱狂し、サッカーというスポーツが生活の中で衣食住と同じように欠かせない世界が……。

僕の目に映ったメキシコ

残念ながらメキシコという国は世界の経済大国になれる潜在能力を十分に持ち合わせているのに、山積みの問題がそれを邪魔している。

まず僕の目に映ったのはメキシコの貧困問題の深刻さである。道を歩いていると、子供をおんぶしているお母さん、足や手、視力を失って仕事を与えてもらえない身体障害者の方などが生きるために「お金を恵んでください」と朝から晩まで道で叫んでいる。夜ビアガーデンに行くと、もう12時を回っているのにまだ7歳、8歳くらいの子供たちがお客さんにガムを売ったり、お花を売ったりしている。
このような光景を見るとメキシコは国民の30%が貧困層であるといわれているのだが、数字では分からないその問題の深刻さが現実味を帯びて伝わってくる。そしてこの問題は犯罪発生率の増加につながり、身代金目当ての誘拐、麻薬売買などが貧困層の方たちが自分たちが生きていくためにやむを得ずやってしまう犯罪の主なものである。
この問題に対して政府はどういう対応を採っているのかというと全く対応し切れていないのが現状である。政府といったら汚職事件などで新聞の紙面をにぎわすだけで、このようなニュースが国民との間に大きな溝を作り、国民のための政治というものがいつまでたっても確立出来ないのがメキシコという国である。
その結果、貧困層は増えるばかりで、その子供たちは昼間も親の仕事の手伝いをして学校に行けず、能力のある子供たちが高校さえも入学することが出来ない。
このような貧困問題とそれに連動して起きるさまざまな問題を少しずつ解決していかない限りこれからのメキシコの成長は有り得ないと思う。失業者、身体障害者、お年寄りに対する金銭的な手当て、すべての子供たちが平等な教育を受けられる環境の確立がこれからのメキシコの第1の課題ではないであろうか。

たくさんの新しい出会い

メキシコにいた7カ月半、旅をしていた2カ月半たくさんの新しいものに出会うことが出来た。その地に住んでいる人々、その人たちがかたくなに守り続けている生活習慣、祭礼儀式、ユニークな食事、文化色が色濃く反映されている民芸品、マヤ、アステカそしてサポテカ人が築き上げた大文明の足跡など、ここでは挙げ切ることが出来ない出会いをすることが出来た。
たくさんの友達が世界中に出来た。旅をしている間ヨーロッパ、北米、中米、南米、アジア、中東など世界中から来ている人たちに出会い、それぞれの国のこと、家族のこと、自分の夢など語り尽くせないほど語り合い、そして再会を誓い合った。この旅行中のことは機会がありましたらまた書きたいと思う。

10カ月という自分の人生の中では短い期間で僕の世界観は行く前とは比べ物にならないほど広がり、自分の無力さを再認識し、この10カ月はこれからの自分の人生に大きな影響を与えるであろう時間だったことはいうまでもない。
最後になりましたが、僕のメキシコ留学は「やる気応援奨学金」の援助、奨学金委員会、大変お世話になった先生方、日本で見守ってくれた家族、友達、メキシコの家族、先生方、友達そしてサッカー仲間なくしては到底実現出来たものではなく、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

草のみどり 186号掲載(2005年6月号)

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