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法学部
【活動レポート】高橋 平歩 (2004年度 国際企業関係法学科卒)

「やる気応援奨学金」リポート(13) メキシコでスペイン語学ぶ(下) 中米旅行で運命的な幸せ実感

3人でアカプルコへ

先月号では、法学部「やる気応援奨学金」一般部門を利用したメキシコでの活動について報告させていただいた。今回は、予定した奨学金による活動を無事終えた後出掛けた旅について書きたいと思う。
7月初旬にスペイン語学校を卒業した僕は、卒業するまで出来るだけ我慢していた中米のガイドブックを開いた。たくさんの遺跡、先住民が今も変わらず暮らす町、壮大な景色、コロニアルな町並み、本をぱらぱらとめくりながらこれから始まろうとしている旅に心を躍らせた。
7月28日、陽気なお酒好きでイタリア料理屋を自国で経営しているアントニオと、サッカーが大好きでメキシコに来てまだ2週間でスペイン語が全く話せないレトとの旅が始まった。2人ともスイス人でアントニオもレトも僕がいたスペイン語学校の生徒で最高に面白い2人だ。
僕らは先生や生徒に別れを告げ僕らの学校があるクエルナバカを後にした。クエルナバカはメキシコシティーから南に70kmほど行った比較的大きな町である。大好きなサッカーボールはもちろんかばんの1番取り出しやすい所に詰め込んであった。
最初の目的地はクエルナバカから南に300km下った所に位置する海沿いのリゾート地アカプルコである。クエルナバカからバスで4時間の旅でメキシコの長距離バスの快適さや安さにはとても満足したが、冷房が効き過ぎていて外は暑くてもバスに乗る時は長ズボンとトレーナーは絶対必要であると痛感した。
海が近くになるにつれやしの木が目立つようになり、広大な太平洋が姿を現した。バスを出ると熱風が僕を包んだ。暑い。クエルナバカとは比べ物にならないくらい日差しが強く、リュックを背負って立っているだけで汗が滴り落ちる。
まずは安宿を見付けに郊外の方に行き、水シャワー付きでベッドは2つしかない1人300円程度の安宿に決めた。3人ともそうだが基本的に僕らは安くて寝られれば良いという考えの持ち主なので、ガイドブックにある1番安い所を訪ね即決するのである。面白いのは部屋の天井にあるヘリコプターのプロペラのような物体だ。確かに大きくて全員に風が行き渡る素晴らしい扇風機だと納得してしまった。
アカプルコは3日ほど滞在したが中でもラ・ケブラーダと呼ばれる35mの高さからのダイビングショーは少しでも着水する場所を間違えれば岩にぶつかり命はないというスリルあるものであり、勇敢なダイバーに感動した。夜はディスコに行き踊りながらテキーラを飲み旅の始めを楽しんだ。

サーフィンを楽しむ

次に僕らが目指したのは太平洋沿いを南に約400km下ったプエルトエスコンディードという小さな町だ。この小さな町を訪れた目的はサーフィンである。この町にあるシカテラ海岸は良い波が立つことで世界中で有名であり、僕はスノーボード、スケートボードは日本でやっているので海の横乗りのスポーツであるサーフィンも本格的に始めてみたいと思っていた。
海を訪れると、僕は波が壊れる時に起こるごう音に一瞬たじろいでしまった。小さな波は見る見るうちに大きな波に取り込まれ、波は大きくなるにつれ太陽の光をいっぱいに浴びて光を放ち、それが一瞬にしてごう音と共に壊れていく。実際ボードをパドルしながら波に近付いてみるとその大きさに圧倒され、気付いたら波に飲み込まれ、まるで洗濯機の中でぐるぐる回っているようであり、水面に戻ってくると数10mも流されているのだ。

毎日透き通るような快晴の中数日間ここでサーフィンを楽しんだ。日本でも必ず続けたいと思い僕は仲良くなったカナダ人のサーファーにボード選びを手伝ってもらい素晴らしいボードを安値で手に入れることが出来た。
プエルトエスコンディード最終日の夕刻、アントニオとレトは疲れて寝てしまっていたので夕日に映える町を1人散歩に出掛けた。ホテルの近くにある畑の真ん中の細い道を夕日が差す方向にゆっくり歩いていくと断崖絶壁にたどり着いた。
夕日があと10分もすれば沈むようなタイミングで空は海面に近い位置で真っ赤に燃え上がり、崖にぶつかる波の音が何か心地良く、涼しい浜風を体全体で感じることが出来た。周りにはだれもおらず、僕は地面に座り偶然にも出合うことが出来たこの絶景に酔いしれた。自分が今ここにいてこんな素晴らしい時間を過ごせていることが何か不思議で胸が熱くなった。

見どころが多いオアハカ

僕たちは太平洋沿いから北に200kmほど行ったオアハカを次の目的地とした。オアハカはメキシコの魅力が凝縮されている町といわれ世界遺産であるモンテアルバン遺跡、メキシコ風バロック建築の代表作であるサントドミンゴ教会、近郊の遺跡の出土品を集めたオアハカ文化博物館など見どころ満載の町である。
期待感いっぱいで到着した時事件は起きた。レトが1人で道を尋ねられている透きに下に置いていたかばんを取られてしまったのだ。幸いにも貴重品などが入っていなかったため旅に支障を来さなかったが、どこにいても中米では細心の注意を払う必要があることを再確認した。

気を取り直して市場に向かうと食料品から生活用品、民芸品まで売られている大きな市場だった。活気にあふれ大きな声が飛び交い、おなかが空いていたので安いフルーツなどを買い大好きなお肉を焼いているにおいがする方向に歩いていった。探し当てると大好きなメキシコ特有の塩辛い味がするセシーナというお肉で、1つ10円もしない大きなパンを買いそれに焼き立てのセシーナを挟んでもらった。口に入れると思わず目を閉じてしまうくらいおいしかった。
翌日僕たちはバスで20分程度の所にある巨大遺跡モンテアルバンを訪れた。中央アメリカ最古のサポテカ人の遺跡であり、広大な敷地に大きなピラミッド、天文台、墳墓そして球戯場まで望むことが出来た。遺跡の上に緑の雑草が生い茂りまるで公園のような遺跡であり、紀元前500年前から建設が始まったこの巨大遺跡に感動した。
その後オアハカ文化博物館で遺跡の出土品を見学し、サントドミンゴ教会の内部にある聖者の相関図が金箔と木彫りのレリーフで豪華に立体的に描かれたものを見て思わずうっとりしてしまった。
オアハカにも数日間滞在したが町の中心部はまるでヨーロッパのようにコンクリートで作られ、調和の取れた高さの建物が並び、夜になると町は明る過ぎない照明で幻想的な光を帯び忘れられない町の1つであることはいうまでもない。

先住民の町

次に僕たちが目指したのはグアテマラの国境から程近く、山々に囲まれ、今でも先住民がひっそりと昔と変わらぬ暮らしをしているサンクリストバルデラスカサスである。12時間のバスの旅を終え降りてまずびっくりしたのが気温の低さである。朝方だったせいもあるが急いでバッグの中から長ズボンと長そでのシャツを出して着替えた。

町を歩いていると家々の作りを見て僕は驚いた。メキシコの南部の方に来ても相変わらずコンクリート壁に多種多様な色を付けた家なのだが、なぜか屋根が日本で見ているかわら屋根そのままなのだ。中国から日本に伝来したかわらがなぜかメキシコの町並みにひっそりと生きていた。
市場に出掛けてみると、先住民族が手作業で作っている素晴らしい作りの民芸品がたくさん売られていてアクセサリー類、革製品、刺しゅう織物などバッグに詰められるだけ買った。市場での買い物にも慣れ、このころには市場の人との会話も楽しめるようになり、ほとんどのお店で最初に提示された値段よりも半分近くの値段にしてもらえるまで交渉出来るようになっていた。
翌日町の中心部から少し離れた先住民が住む町サンフアンチャムラを訪れた。町に着くと見渡す限り同じ服装をした先住民の方々が農作物や民芸品を教会の前の大広場で売っていた。女性は白地に刺しゅう入りのブラウスに黒地の布を赤い帯で押さえていて、男性はジーパンに白シャツという女性と比べると意外とラフな格好だが、子供から大人まですべての人がジーパンに白シャツで何か不思議な光景だった。
買い物を楽しみ一休みしているとお店で働いている男の子が「お兄ちゃんどこから来たの」と話し掛けてくれて「日本っていうとっても遠い国から来たんだよ」と言うと、日本のことに興味を示し、地図をかいて日本の位置を教えてあげると彼は何かうれしそうだった。彼の白地のシャツにジーパンで決めた写真は今も僕の宝物だ。

グアテマラでアクシデント

サンクリストバルデラスカサスで充実した数日間を過ごした僕たちはメキシコを後にすることを決め、最短経路でメキシコ・グアテマラ間の国境町へと向かった。ビザの手続きは何事もなく済み、ちなみに入国料は300円だった。
グアテマラに入ると急に交通の便が悪くなった。どう考えても2人でしか座れないいすに3人で座るように乗務員に指示され、通路側にいるとおしりが半分しか座席に乗っていない状態で悪路が延々と続く中何とかグアテマラ第2の都市ケツァルテナンゴ、そして世界で有数の奇麗な湖と称されるアティトゥラン湖のほとりにあるサンペドロラグーナにたどり着いた。
周りを大きな山そして火山に囲まれたこの湖はまるで山々の間に存在するはずのないオアシスの様相を呈しており、この町ではマヤの血を引いた人たちが今でも民族衣装を身にまとい生活している。

この町の人たちは本当に温かく、パンを道端で売っているマヤ系の女の子たちととても仲良くなり、外国人長期滞在者が多数いるというガイドブックの説明がよく理解出来た。僕たちは自転車をレンタルして湖を探索したり、夜は出会ったバックパッカーたちと飲みながら語り合った。
この町に来て4、5日たったころ事件が起きた。アントニオが乗馬ツアーに行った際、馬から転落してしまいくるぶしを痛めてしまったのだ。松葉づえなしでは歩くことは出来ず、旅を続けることも真剣に考え直さないといけない状況に陥った。3、4日過ぎても一向に回復の見込みはなく、何よりもいつも明るいアントニオが元気をなくしてしまいかわいそうだった。

日にちだけが過ぎていく中、ある日僕は町を歩いていて現地の小学校にたどり着いた。小学生とサッカーをしていると先生が来て、僕にマヤの言葉や数字のことを教えてくれた。アントニオの話になり先生が僕に言ったことを聞いて僕は耳を疑った。「マヤ医療を施せるおばあさんがいるから今夜そのおばあさんを連れてあなたのホテルに伺います」。僕は疑い半分であったがこうなったら僕も見てみたいのでお願いすることにした。
約束通り彼女はおばあさんを連れてホテルに来てくださり、アントニオも疑い半分に痛めたくるぶしをおばあさんに差し出した。おばあさんは手に小さなお手玉みたいな軟らかい物を持ちアントニオの患部に当てた。見る見るうちにアントニオの表情が変わり大の大人が我を忘れ痛がっていた。痛いはずがないのだ。僕は袋を見せてもらったがただの小さなお手玉で思いっ切り投げ付けられても痛いわけがない。
おばあさんに僕が尋ねると、「今患部の痛みを吸い取りました。明日も同じ時間に治療しにきます。明後日には旅を再開出来るはずです」と答えてくれた。すると立てるはずがないアントニオが立ち上がり今まで1人で歩くことなど不可能だったのに1人でぎこちないながら歩き始めた。だれもが目を疑ったのだが、それはやらせでも何でもなく、ただただ僕たちはアントニオと共に喜び感謝した。
翌日もおばあさんは約束通り来てくださり、昨日と全く同じ方法でアントニオの足に布袋を当て、治療が終わるころにはアントニオは重いリュックを持ちながら小走りが出来るようになっていた。おばあさんは「お金は要りません」とおっしゃったがアントニオは自分の感謝の気持ちからお金を受け取っていただいた。おばあさんの言うとおりその翌日僕たちは旅を再会することが出来た。マヤの人のやさしさで僕たちは心がいっぱいだった。

カリブ海でダイビング

その後グアテマラシティー、北上してカリブ海沿いのホンジュラス国境付近のプエルトバリオス、国境を越え、プエルトコルテス、サンペドロスーラそしてカリブ海沿いの町ラセイバまでゆっくりと旅を楽しみ、夢のカリブ海に浮かぶ島ウティラ島を船で目指した。

僕たちがこの島に来た大きな理由はスキューバダイビングの免許取得である。この島は数々の素晴らしいダイブスポットに恵まれており、ウティラの海は海面からも魚や海藻が見えるほどの透明度の高さを誇っている。僕たちは島にある数々のダイブスクールの中でも温かい家族が経営しているパラダイスダイバーという小さいダイブスクールにお世話になることにした。この時まさか僕はこの島に2カ月近くいることになるとは思いもしなかった。
僕たちが取る免許はオープンウオーターと呼ばれ4日間のコースの中でダイビングの基礎を学ぶものであり、レギュレター(呼吸をする道具)のくわえ方、水中眼鏡の中に入った水を出す方法、基本的な水中サイン、水面時におけるBCD(ライフジャケット)の空気の入れ方や水中でのこれを使った浮力コントロールなどビデオを見て、そして実際水中の中で実践して学んだ。4日後晴れてペーパーテストもクリアして僕たちはオープンウオーターを取得した。
取得後アントニオはスイスへ帰国し、レトはコスタリカまで旅を続けることに決め、僕はというとこの島のすべてが好きになってしまい島に1人で残ることに決めた。
島の生活は僕にとって夢の生活そのままだった。僕はダイブスクールが所有している海沿いの、部屋からの絶景もありみんなからカリビアンスイートと呼ばれている部屋に暮らしていた。部屋には手作りのベッドと扇風機以外何もないがカリブ海の絶景がそこにはあった。
朝、ホンジュラス本島から到着する船の汽笛で毎日が始まる。扉を開くと目の前に水色のカリブ海が一面に広がり目覚ましついでに一泳ぎする。水着のままホテルのみんなと朝御飯を一緒に作り、近くのディスコが朝から心地良い音量で流すカリビアンレゲエに耳を傾け、気持ち良く晴れた空の下で朝御飯を頂く。掃除のおばさんがその音楽に合わせて体を気持ち良さそうに動かしている。こんな平和な朝がいつまでも続いてほしかった。
朝御飯を食べ終わるとダイビングの用意をし始め船に荷物を積みいざダイビング開始。海中生物たちとの静かな一時を過ごし、毎日が新しい発見にあふれていた。ダイビングの一番良いところはスポーツでありながら競うスポーツではなく自分がどれだけコンディション良く楽しめるかがすべてのスポーツであるところだ。
午前のダイブを終え帰るとハンモックで読書をしながら一眠り。浜風がハンモックを適度に揺らしてくれる。起きてそのまま午後のダイブを楽しみ、真っ赤な海面に沈んでいく夕日を見ながら夜御飯の支度を始める。夜は漁師から直接買い付けた魚介類や貝をみんなで料理する。毎夜毎夜ヨーロッパや北米のさまざまな国から来た仲間たちがその国自慢の料理を作ってくれ、僕もしょうゆやにんにくを使った鉄板焼きを振る舞ったりした。

食べ終わるとうたげの始まりで本場のラム酒を飲みながら音楽を掛けてみんなで踊りまくる。カリブ海の星空、海面にぼんやり映し出される月、言葉に表すことが出来ないほど美しかった。ちなみに朝起きてから寝るまで海水パンツ以外何も身につけていない。買い物へ行く時も、インターネットカフェへ行く時も、夜ディスコへ行く時も海水パンツとはだしでどこでも行けるのが島の生活の良さでもある。
大好きなサッカーも島民のほとんどが見にくる島唯一のサッカーリーグに入れていただき、町を歩いていると「次の試合も頑張ってね」とたくさんの人に声を掛けてもらった。島の時間はまるで止まっているようだったがゆっくりと過ぎていった。

プロライセンスも取得

オープンウオーターから始めたダイビングも、より高度な技術が求められるアドバンスダイバー、水面、水中でのレスキュー活動を中心に学ぶレスキューダイバー、地上での応急救護を学ぶEFR(エマージェンシー・ファースト・レスポンス)を取得した。
インストラクターから1カ月半くらいは掛かるだろうけどダイビングのプロライセンスであるダイブマスターもせっかくだからと勧められたのでダイブマスターも挑戦することを決意した。このコースはダイビングの専門知識もさることながら、水中での高度なテクニック、水中でのリーダーシップが求められ、このコースに入ってからは自分が生徒に教える立場になっていた。
10月5日、何枚にもわたるペーパーテスト、水中での技術テスト、基礎体力テストを無事クリアしてダイブマスターを取得した。約2カ月間本当に僕を支えてくれたインストラクター、船のキャプテン、ダイブスクールの家族、たくさんの仲間たち、生徒たちと抱き合って喜んだ。感謝の気持ちでいっぱいだった。
島最後の日、明日はメキシコへ帰る日だ。僕は自転車で慣れ親しんだ島や海に別れを告げにいった。会う人会う人がいつ帰ってくるんだと言ってくれて、本当にうれしかった。

あまり行く機会がなかった島の北の方へ向かった。だれもいない海への細い1本道だ。僕はゆっくり自転車をこぎながら風を感じ太陽を感じ自分がここにいる幸せを感じた。メキシコから出発して3カ月、なぜか僕はこの島にいる。僕は何か運命的なものをこの島だけではなく訪れるすべての地で感じた。海が見えてきた。そこには無限に広がる世界が広がっていた。
最後に、旅を支えてくれた日本とメキシコの家族、旅を共にしたアントニオとレト、旅を通して知り合えたたくさんの人たちに言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちをささげます。どうもありがとうございました。

草のみどり 187号掲載(2005年7月号)

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