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法学部
【活動レポート】稲垣 衆史 (2001年入学・政治学科)

活動データ

  • Work Camp in Cambodia
  • 2003年8月31日~9月16日 カンボジア王国  プノンペン L-CDIポチェントンセンター
  • 2003年度前期選考(英語分野)

活動の目的

目的は日本のNGO「CFF」を通して、教育施設を運営するカンボジアのNGO「L-CDI」に協力し、現地の青年によりよい教育を提供することだ。「CFF」は、1年ほど前からカンボジアにも活動の拠点を広げた。現在は現地常駐のスタッフもいるが、日本からインターンや、ボランティアキャンパーを派遣し、お互いの交流の機会を更に拡げている。私が今回参加したのも、このボランティアキャンプ。次の3点が大まかなキャンプのキーワードだ。

  1. ワーク(建設作業)
    ドミトリーをカンボジア人と協力して作ることを通じて、お互いを理解していく。炎天下の下での作業はつらいが、その分1つのものを作りあげたときの喜びは大きい。ちなみに資材は主に木とココナツの葉だ!
  2. コミュニケーションは「英語」
    L-CDIは英語教育に力を入れおり、母国語の使用は厳禁。会話はすべて英語だ。彼らは日常的に英語を使うため、能力は相当ハイレベル。「僕は10年間英語を習っているよ」と言ったら、「それで!?」と笑われてしまうほど、平均的な日本人と比較したら上手い。英語はネイティブと思い込みがちだが、外国語として英語を覚えた彼らから、学べることは多い。しかも日本人とカンボジア人学生がペアになる「カウンターパート制」を採っており、いやでも会話する環境がある。パートナーの年齢は16~24歳くらいで、現地の青年と深い交流ができる。寝食をともにするうちに、英語力も自然とUP!
  3. 自分達で作り上げる
    このキャンプは与えられるのではなく、自分たちで企画する自主的な部分が多い。例えば私たちは相互理解のための「ディスカッション」や、歴史や科学などを教える「レクチャー」を現地で行うことにした。このための事前準備を真剣に重ねることで、国際協力活動に対する意識はより高くなる。

活動の日程

1日目  :現地集合、オリエンテーション、オープニングプログラム
2~3日目:体調合わせのためスタディーツアー(ツールスレン博物館、キリングフィールド、セントラルマーケット、ダンプサイト、アンノンカガーン、パゴダ寺院)夜ナイトライフ
4~6日目:終日ワーク、夜セミナー
7日目  :早朝シェムリアプに向けて出発、
8日目  :アンコールワット見学、夜セミナー
9日目  :アキーラの地雷博物館、プノンペンへ帰る
10日目 :早朝着。カンボジアトラスト訪問、ODA,JICAのスタッフに話しを聞く
11日目 :終日ワーク
12日目 :午前フットサル大会、午後ワーク、夜セミナー
13日目 :午前ワーク、午後セミナー
14日目 :午前ワーク、午後振り返り、夜クロージングプログラム
15日目 :掃除、振り返り(日本人のみ)、各自帰路へ

活動の概要と感じたこと

ワークについて

キャンプのメインとなる、生徒のためのドミトリー建設作業。当初は補修の予定だったが、傷みが激しいため、最初から建てる事になった。生徒達が待っているため15日間で完成させなければならない。作業は次のような工程だ。
約200人の生徒が寝られる2階建てドミトリーを建てる。資金不足のため資材はコンクリートや石ではなく、木とココナツの葉。風通しの良い、快適なドミトリーが目標だ。

まず、敷地に土を運び、15センチほど地面を高くする作業から始まった。近くに水浴び場やキッチンがあり、水の浸入を防ぐためだ。
終わると2チームに分かれ、一方は支柱となる木材を測り、切るという作業。もう一方はその支柱を建てるための深さ50センチの穴を30個ぐらい掘る作業をする。木材は切断した後、オイルを塗り、防虫・防水対策にも力をいれた。もちろん建物自体が歪まないようにポイントごとに糸を張り、目印を付けていく作業も怠らない。
セメントで柱を固定したら、次はいよいよ二階部分の建設に入っていく。足元が不安定のため、慣れない私には釘を打つ作業も難しかったが、カンボジア人のキャンパー達は手馴れた手つきで仕事を進めていってくれた。
途中、雨期だったため大雨が降り、作業が大幅に遅れ、結局ワークを完了させることはできなかった。しかし、残りの床、屋根、壁の部分は生徒たちが協力して作ってくれ、今では生徒たちが住んでいるということだ。いつか必ず見にいきたい。
分担が悪く効率的に進まなかったこともあったが、コミュニケーションの面などでは問題はなかった。カンボジアの人は協力しあって何かをする、という感覚があまりないと聞いていた。それでも、お互いが認め合って1つのものを作り上げることの大切さを実感できたことが、何よりの収穫だ。

スタディーツアーについて

カンボジアの歴史や現状を知るため、ワークの合間には様々な場所を訪ねた。いくつか印象に残った場所を紹介したい。

ツールスレン博物館・キリングフィールド

以前は学校だったが、ポルポト時代に刑務所として使われ、大量に罪のない人々が投獄された。その数は2万人にものぼると言われている。
4棟ある建物はそのまま残されていた。ポツンと置いてある、鎖の付いたベッド、床に残る血痕や錆びた拷問の道具が、当時の状況を生々しく物語っていた。殺された人々の写真が数多く展示されていたが、中には年老いた女性や、年端もいかない子供も多く含まれていた・・。
「キリングフィールド」は映画の舞台になったこともある、カンボジアでは最も痛ましいとされる場所。ポルポト政権時代、ツールスレン刑務所に収容された人々の多くはここで処刑され、埋められた。周辺には、後に掘り起こされた際にできた大きな穴がいくつもあり、当時の虐殺の様子が甦る。掘り出された9000あまりの遺骨は、中央の慰霊塔に静かに祀られていた。しかし、まだ未処理のままの遺骨は多く、この地のいたるところに今でも残されているという。
私のパートナーだった‘ソクナー’という女生徒は、これらの場所を案内しながら母や祖母から聞いたという話を詳しく教えてくれた。24歳の彼女は、ちょうどベトナムとの国境紛争が激化した年に生まれた。戦乱中の‘混乱’と、後の‘貧困’というカンボジアの長い苦しみの歴史を、彼女は一身に背負って生きてきたといえる。それでも冗談をまじえつつ語ってくれた彼女の強さに、心を打たれた。

アキーラの地雷博物館

木の幹に塗られた赤いインク。それは`Danger land minds!'、つまり‘地雷に注意!’を意味している。郊外に出て、少し木の茂った場所に踏み入れば、この目印を至るところに見ることが出来た。戦乱の際に埋められた地雷は、いまだ多くの場所で処理されずに放置されており、その数はカンボジア国内で、600万個とも800万個とも言われている。毎日のように被害が報告され、人々の日常生活を脅かしている。
この博物館を開いたアキーラさんは、兵士だった経験を生かし、今は地雷除去のボランティアをしている。これまでに5000個以上を処理し、その地雷や爆弾がこの博物館には展示されていた。
アキーラさんは、実際に地雷に少量の火薬を詰めて、その威力を体験させてくれた。「ボンッ!!」というその衝撃は体の奥底まで響き、しばらくの間、離れなかった。外にはダミーの地雷が埋められており、実際の状況が忠実に再現されている。教えられなければ、どこにあるか全くわからない。恐ろしい兵器だ。
庭では地雷によって片足を失った少年が、椅子に座りながら猿と戯れていた。「まだ13歳くらいだろうか・・」言葉が通じず、確かめることは出来なかったが、戦乱とは全く関係のない世代であることは確かだ。「映像でしか見たことのなかった、イメージの中の不幸は、やはり現実の事なんだ・・」 私は足のない人々に出会う度に、そう確信させられていた。

カンボジアトラスト

首都プノンペンにあり、地雷被災者に対する「義肢の供給支援」を目的に作られた施設だ。医療にとどまらず、義肢装具技師の養成学校も運営している。医療サービスは無償で、それらは全て寄付によって賄われている。
ここで日本人スタッフの堤さんからお話を伺うことができた。「運営を無償で行うには、人権費の高い外国人スタッフよりも自国の若者を育成し、雇うほうが安く、同時に彼らに技術を与えることもできるというメリットがあるため」と学校を併設した理由を話してくれた。
ここではカンボジア以外にラオス、ミャンマー、アフガニスタンといった国外からも生徒を受け入れている。最近は手に職を付けてもらうため、地位を低く見られる女性や身体に障害を持った人も多く受け入れていた。技術レベルの高さは、世界でも屈指の学校になったそうだ。
堤さんの話で驚いたのは、現在は地雷よりも‘不発弾’による事故が多いということだった。お金を稼ぐために、危険と分かっていても爆弾の中の火薬を採ろうとし、事故に会ってしまうのだ。戦争によって生まれた貧しさは、このようなかたちでも人々の生活に影を落としていた。
(詳しくはWEBSITE→www.combodiatrust.org..uk)

アンノンカガーン

プノンペン郊外にあり、国内でもかなり貧しい生活を強いられている人々が暮らすスラム地区だ。彼らは以前、プノンペンに住んでいたが、火事によって家を失い、この場所に逃げてきたらしい。実はこの火事は、スラムに住む人々を追い払うために政府によって起こされたという噂もあるのだが、政府側は認めていない。
住民は、洗濯や、物乞いをするぐらいしか生活の糧を得る方法がない。また若い女性の多くは街に売春に行くため、このスラムはエイズの感染率が非常に高くなっていた。排水などの衛生設備もないせいか、皮膚が白く変色し、腫れ物ができている子供も多く見かけた。
奥まった家に、火事で負傷し、動けなくなってしまった老婆がいた。うす暗い部屋の中で「ただ死を待っているだけ・・」と呟いて泣いている。‘人間の尊厳’というものを痛いほど感じた私は、わずかなお金を渡すことすらできなかった。
この地区は旅行ガイドブックに載る事もなく、まるで世界から切り離されてしまったような街だった。しかし、そこにある現実は、この国のどんな場所よりも重要で、多くのひとが関心を持つ必要のあることだと感じた。

ダンプサイト

近づくにつれて、数え切れない程のハエと、なんとも言えない悪臭が襲ってきた。プノンペン周辺から出される大量のゴミは分別されることもなく、全てここに集まってくる。見渡す限りの‘ゴミの山’は自然発火し、有害物質を発生させていた。私は一刻も早くこの場を立ち去りたいと思ってしまった。
この様な状況で多くの人が、ゴミ山の中から金属やビンなど、お金になるものを毎日探している。これを業者に渡し、わずかな賃金を得ているということだ。

必死に金目のものを探す子供たちがいた。彼らは一日中、悪環境のなかで働き、健康を害していく。教育も受けていない彼らは街に出て働くこともできない。この生活から抜け出すことは非常に難しい。
以前、フィリピンでもゴミ山(スモーキーマウンテン)を見たことがあった。フィリピンでは政府によって埋め立てられ、一見改善されているように見えた。だが、実際、ここで生活していた人達は強制的に立ち退かされ、職も家も失い、さらに苦しい生活を強いられていた。ゴミ山は、貧困の連鎖にはまりやすく、簡単に断ち切ることのできない問題だ。
一緒に生活していて思ったが、カンボジア人はゴミに対する意識はとても低い。ビニール袋なども、そのうち消えてなくなるかのように道に捨てている。その光景を見る度に、「NO!!」と私たちは注意をしていた。分別や処理のことに対して、ほとんど知識や関心を持たないのが現状だ。ゴミ対策は、教育や環境などに通じる問題であり、早くに人々の意識改善をしていく必要があるのではないだろうか。

アンコールワット

ユネスコの世界遺産にも指定されている、言わずとしれたカンボジアの象徴的建造物。旅行ガイドブック『地球の歩き方』も、なぜか『アンコールワットとカンボジア』というタイトルで別物のように遺跡を扱っているほどだ。
シェムリアプまで飛行機で移動するお金はないため、カンボジア人14人、日本人14人、総勢28人のキャンパーが一つのトラックで移動することになった。荷台の上は思った以上に狭く、足を伸ばす場もないほどのすし詰め状態。しかし、おしゃべりをしたり、歌をうたったりしているうちに、お互いの心の距離まで近くなっていた。日本で舗装もされていない悪路を10時間もかけて旅行することはありえないが、なぜかこの時は楽しくて仕方なかった。これもカンボジアの魅力の1つだろう。
アンコールワットはカンボジア人の誇りであるそうだ。紙幣や国旗に印刷されていることからも、それは覗える。旅行の習慣のないカンボジアキャンパーの多くは、初体験で非常に楽しみにしていた。中には私たちのガイドブックを借りて入念に予習している子までいる。印象的な姿だった。訪れる数ヶ月前、タイの女優が‘アンコールワットはタイのものだ’と発言し騒動が起きたが、カンボジア人のこの遺跡に対する憧れを知ると、問題になることも分かる気がした。
アンコールワットは観光客(特に日本人)が多いこともあり、物価は他のどの街よりも高い。稼がなければならないこともあって、観光客相手に商売をする子供たちが非常に多かった。この遺跡が国の経済を支えていることは確かだが、子供の教育を削る結果になっていること気付き、複雑な気分になってしまった。
嬉しいと感じた瞬間もあった。「オニイサン!1ドル!ヤスイ!カッテネ!」と日本語を面白いほど巧みに使う、愛嬌のある物売りの子供達。彼らと話をしていて、彼らが「学校に通いたい」と話してくれた時だ。教育を受けたいという希望は持っている。彼らの思いを実現させてあげたいと強く感じた。

活動を通して感じたこと

教育事情

私が滞在した十数日間に、L-CDIの生徒の数は減っていた。学費を取りに帰ったが、そのまま戻って来られない人もいるという。月10ドルほどの学費を払えない生徒も多いのが現状だった。近年、首都プノンペン周辺は地価の上昇が著しく、これから学校側も学費を値上げせざるをえない。やはり金銭的な問題が、教育事情を圧迫していた。
また就職先を地元で見つけたため、帰ってこない人もいた。英語を巧みに使える生徒は、カンボジアでは貴重な存在。確かに仕事には就きやすい。だが、2年というわずかな修学期間すら終えないまま社会に出ることは、大きな問題がある。強調性や倫理・人生哲学などの、‘知識ではない部分’の教育がなされぬままなのだ。
金銭や社会習慣的なことから、教育はまだ十分ではなかった。「L-CDIでの教育だけは修めてもらいたい」と考え、帰国後、私たちは「奨学金制度」のプロジェクトを立ち上げている。今はまだ検討段階だが、近いうちには‘制度’として確立したい。

生活

私を含め、日本人が最も敏感になったのは、お金の問題だろう。一日中ワークをした後、はじめの頃はよくコーラを買って飲んでいた。日本円では50円もしないコーラだが、カンボジア人にとっては高価な飲み物で、一食分以上の値段に相当する。自分達だけで飲むのはよくないと感じ、おごろうとしたが、彼らは遠慮なのか、プライドなのか必ず拒んだ。この事が問題になり、私たちは話し合った
結局、‘できる限り我慢する’ということになった。この他にも、「この電子辞書はいくらしたのか?」「ここにくる費用はだれがサポートしているのか?」といった金銭に関わる質問をされた時には、物価の違いから、すぐに返答することはできず、私は引け目を感じてしまった。
何でも分かり合えると思っていたが、この出来事はキャンプの中でカンボジア人と何か隔たりのようなものを感じてしまった、唯一の点だった。

セミナー

前述した様に、このキャンプは自分たちで企画する部分が多い。私たちは今回2つのグループに分かれてテーマを決め、セミナーを行うことにし、2ヶ月ほど前から内容を練っていた。ただ知識を教えるのではなく、話し合う中で、新しい見解を探っていくということを目標にしていた。
だが、実際行ってみると、非常に難しいことに気付く。前日に1つ目のグループがセミナーを開いたが、言葉の壁や時間配分、ディスカッションというものに対する理解の違いから、全くといっていいほどセミナーは成り立たなかった。
私たちのグループは「平和」をテーマにセミナーを開くことになっていたが、前のグループの失敗を参考にし、再度スケジュールを練り直したこともあり、形としては成り立った。しかし、カンボジア人のためのセミナーになったかどうかは疑問が残る結果だった。
しかし、このセミナーを通じて、彼らの考えをより知ることができたことは確かだ。彼らは「社会を良くしたい」と心の底から願っていた。辞書を丸ごと写し、わずかな空き時間にもテキストを読む、その勉強に対する熱意を見れば、本気であることはすぐにわかった。ただ弊害になっていたのは、自分たちは他の国より‘貧しい’という意識を強く持ってしまっていることだろう。
日本人の中には、途上国の人は能力的に劣っていると考える人もいるかもしれないが、全くそんなことはない。彼らの能力は非常に高く、教育制度さえ充実すれば、確実に伸びていくと感じた。自分を評価し、自信を持つことの大切さを彼らに伝えたい。そして私たちも世界を無意識のうちに中心・周辺、あるいは上・下という構造で見なしてしまっている事を改めなくてはならないと思う。

今回の活動をどのように生かしていくか

フィリピンに行き途上国の現状を見てから、私は逆に大学での開発の授業や、平和そのものについて考えることができなくなっていた。問題があまりにも大き過ぎて、自分の思考が無力なものに思えてしまったということも1つの要因だったが、国際情勢を見ていて現実と理想のギャップの格差を改めて思い知らされたからでもあった。
このキャンプは、「もう一度平和について一から考えたい」と思い計画し、出発する前には‘平和のために必要なことは何か’を見つけてくるという課題を自分に与えていた。
そして、17日間の経験から自分が導いた答えは、「何でも受け入れられる心」だ。たとえ全く異なる考えや社会であっても、それを拒んでしまったら、何も先には進めない。そのためには、自分自身を受け入れることから始まると思う。ありのままの自分を理解し、心の中に精神的な充足感を得て、幸せを感じることができるなら、他者も尊重できるようになると私は考える。
授業を通して、また本から得られることは、‘現状’を理解する方法ではあっても、個人を本当に幸せにするための方法はあまり述べられていない。現状を理解した後は、各々が真摯に考えていく必要があるのではないだろうか。今後も私は、常に自分なりに課題を設け、それを問いかけていきたいと思う。

後輩達へのアドバイス

まずは何でもいいから、「やりたいこと」にチャレンジしてみることが大切。その中できっと自分なりの課題や目標が見えてくると思う。そうなったら、ただその課題にむかって取り組むのみではないでしょうか。
私は学生と社会人の違いは‘稼がなくてもいいか、稼がなくてはいけないか’という点のみだと思っています。確かにお金の事は気になるけど、とらわれすぎると、自分の領域が狭くなり、絶対損をすると思う。社会に出たら自分のやりたいことにお金を出してくれる機会はほとんどないと思うので、是非「やる気応援奨学金」にトライするなどして自分の価値観の幅を広げてみて下さい。
「大学まで行けて、しかもスカラシップまでもらえるなんて羨ましい。それだけでもスゴイ幸せなことだって忘れないでね」とカンボジアの子が話していました。自分の周りに当たり前にある‘幸せな環境’を十二分に理解し、活用して学生時代を過ごして下さい。それは日本という国に生まれた私たちの、義務でもあると思います。

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